女性であればいい結婚をすることによって同様の優越感を持つことができる。結婚は本来ステータスのためにするものではないが、結婚できたかできないか、結婚相手のステータスがどの程度かによる心理的作用は否定できないし、それが他人からの評価に影響を与えることも動かしようはない。
社会的ステータスがすべてでないと分かっていても、社会的ステータスのもつ影響力から自由になるのはなかなか難しい。
しかし、いい会社もいい結婚も、世間のすべての人に行きわたるほど無尽蔵に転がっているわけではない。それを運よくゲットできる人もいれば、あぶれる人もいる。世の中は不公平だ。そして、仮に運悪くあぶれた方に入ってしまった場合、優越感とは逆の感情に支配されることになる。自分とたいして変わらない実力の人が自分よりいい待遇を得て、人から尊敬され、楽しそうに生きていればなおさらだ。「何者かになりたい」という願望は、そのような鬱屈した思いから生じることが多い。人に無条件に好評価されるステータスを持たないからこそ、自分の力で人をあっと言わせたい、自分のことを認めさせたい、というどろどろした思いが胸の中でくすぶり続ける。