2020年2月24日月曜日

三木清『人生論ノート』から(1) 「感傷について」を読んで


三木清の『人生論ノート』が面白い。(恥ずかしながら、この年齢まで三木清の名もこのエッセー集の存在も知らなかった。高校入試関連の仕事をしていた友人によれば、試験問題でよく使われるそうなので、知らなかった私が無知なのだろう。)


このエッセー集は、著者が死、幸福、怒りなどのお題について考えを述べるという構成になっている。どのテーマも誰にでも通じる普遍的なものであり、文章の長さも手ごろなので、日常の隙間時間に思考するのにちょうどいい。三木清の哲学への入り口としてもうってつけだ。


この作品のなかから気に入った章を選んで紹介したい。

2020年2月11日火曜日

建国記念の日に――態勢の立て直し


2020年に入ってすでに一月経った。年頭に目標を決めて新しい年に突入したわけだけれど、例年同様、気がつくと目標のことはどこかに置き忘れたまま、その日一日をやり過ごすだけの日々が続いている。もちろん目標通りに行くわけがないことは最初から分かっていたことだけれど、それにしても自分の関心が次から次へと移って、昨日自分が何を考えていたかさえ思い出せないような状態だ。あまりにも移り気すぎるだろう。

目標を維持できないのは、その目標に必然性も拘束力もないからだと思う。自発的に決めた個人的な目標なので、なんの強制力もない。こういうことができたらいいなという願望を書き出したに過ぎない。しかも、その願望は時間とともに薄れる始末だ。

2020年2月9日日曜日

ストックとフローのはざまで---情報の波に溺れるとき


ネット上で、自分の関心を引こうと待ちかまえている多量の情報にさらされてアップアップしてしまうのは私だけだろうか。毎日、関心のスイッチの切断と接続が目まぐるしく繰り返される。自分の思考が断片化されすぎて、一日の終わりに、自分が誰なのか分からなくなる。そのような巨大な力に飲み込まれていくことに漠然とした恐怖を感じたのが、ツイッターを見るのを控えるようになった個人的な理由だ。

私のその不安を、まさにそのまま表現していたのが、ジア・トレンチーノだった。NYタイムズの書評ポッドキャストで彼女について聞いた時、彼女のことをもっと知りたくなって早速ネットをあさった。(ネットをすべて断捨離したわけではなく、何かしらのつながりを欲してポッドキャストを聞いたり、オンライン記事を読んだりはしていた。)昨年彼女の新刊"Trick Mirror"が出たばかりだったので、そのプロモーションのための動画やインタビュー記事が多く見つかった。彼女が雑誌ニューヨーカーのスタッフライターであり、それ以前はジェゼベルというフェミニズムウェブ媒体の編集をしていたことがすぐわかった。

身を切るエッセイ漫画 永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』

作品の帯にはこう書かれている。 「高校卒業から10年間、息苦しさを感じて生きてきた日々。 そんな自分を解き放つために選んだ手段が、 「レズビアン風俗」で抱きしめられることだった―― 自身を極限まで見つめ突破口を開いた、赤裸々すぎる実録マンガ。」 大学があわなくて中退して以来、アル...