2022年6月6日月曜日

【書評】黄昏の奇妙な明るさー佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』

 


我が一族直系の男子の名は代々、黄金と没薬と乳香を携えて東方からベツレヘムの厩を訪れたあの三人のマギの名から取ることになっていた。即ちカスパール、メルヒオール、バルタザールである。


 このような仰々しい出だしで始まる『バルタザールの遍歴』の設定は、最初の2ページで明らかになる。即ち、主人公はハプスブルク家の血を引く由緒正しい貴族の家系に属し、二人でありながら、一人とみなされること。

 さらに数ページ進めば、メルヒオールとバルタザールの二人の人格が一つの体に共存すること、彼らの家族が没落しつつあることもわかる。

 ここで、なぜ作者はオーストリア=ハンガリー帝国を舞台としたのかと考えることは無意味だろう。作者がかつて留学生としてフランスに住んでいたことを知って何になるのか。ただ作品がそれを必要とするからと言えばそれで十分だ。作者自身、作品を「意味」や「意図」で判断することを否定しているのだから。

 そこで「作品の表面に留まる強さ」を求める作者にならって、作品の表面をなぞりながら本作について考えてみたい。

 二つの人格=語り手の二重構造を原理とする本作は形を変えた双子ものだ。そう気づくと、本作が同じような双子ものの漫画『CIPHER』と二重写しに見えてくる。兄のバルタザールはシヴァ、弟のメルヒオールはサイファ、従姉妹のマグダはアニスだ。

東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。