この小説を最初に知ったのは『バービー』の監督グレタ・ガーウィグの紹介によると思う。そのときは途中まで読んで挫折した。それが最近『TOKYO VICE』を見て、
『TOKYO VICE』→日本を訪れる外国人(Ex pat)の話(Angela Carter、Lost in Translation)→海外を訪れるアメリカ人(Ex pat)の話(Elif Batuman)→大学生の話(Elif Batuman、Sylvia Plath)
と連想が働いて、読みたくなったのだ。日本に憧れるアメリカ人と大学に入って戸惑うアメリカの学生はどこか似ているところがある気がしたのだ。
今回シルヴィア・プラス読み直してみて、彼女の大学生としての経験がアメリカの中流WASP的な背景によって縛られているのをもろに感じた。それが彼女にとってのベルジャーなわけだけれど。(ベルジャーとは、実験で蝋燭を覆ったり、飾り用の小さな人形を覆うのに使うガラス鐘のことらしい。)(画像はhttps://www.le-noble.com/d/s/product_info/900965553155/から)
今回面白く読めたのは、彼女がどういう世界に閉じ込められているかを想像することができたからだと思う。実際にアメリカに住んでいた頃より、時間を経た今のほうが理解力があがっているのも変な話だけれど、それだけ周辺知識が増えたおかげだと思う。ネット勢に感謝。そのおかげで、留学生時代は理解できず疎外感を感じていた周りのアメリカ人の子たちにも同情できるようになった。知識大事だ。
でも、この本が俄然面白くなるのは、語り手の主人公が、mental breakdownを起こし、自殺未遂を図り、精神病院に収容されるあたりからだ。彼女は電気ショック療法を受ける。それがあまりに非人間的で、自殺を図りたくなるわ、と思う。自分の精神が崩壊していく怖さもさることながら、周囲からそう判断され、意志に反して閉じ込められることの怖さ。自分に見えている世界を誰にも伝えられないことの怖さ。そういう怖さがじわじわと迫ってくる。なるほど、だからベルジャーなのか、と思う。その状態から逃れるためには自殺するしかない、と思うこと。ヴァージニア・ウルフも、再び発作を経験することに耐えられなくて自らの命を絶った。ウルフは、そういう状態について作品を書いてはいないけれど、プラスのおかげで想像を働かせることができる。
プラスは『ベルジャー』を書いてしばらくして、自らの命を絶った。書くことは彼女の救いにはならなかった。
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