2019年10月4日金曜日

家と魔法



いま引っ越しの真っただ中だ。

ここ数年、「引越し」という観念が頭の片隅でちらついていた。最初は「いつか引越そう」と遠くに思い浮かべているだけだったのだけれど、しだいに思いが膨れ上がって、今年7月には「年中に引越す!」と決意するまでになっていた。結婚もそうなのだけれど、こういう大がかりなプロジェクトは、よほどエネルギーを掻きたてないとなかなか重い腰を持ち上げられない。私もはじめは、今すぐでなくていいやと先延ばしにしていた。でも、時間が経つにつれて、自分のおかれた不安定な状況が我慢できなくなって、「私も私の人生を持っていいはずだ」と思うようになった。その不満を起爆剤として、引越しのために行動を起こすところまで自分を追い込んだ。

最初見た部屋は西武新宿線の新井薬師前駅にあった。「桜と公園と手づくりの部屋」というコピーとサイト上の写真がなんとも魅惑的だったのに惹かれて問合せをした。それは、ちょうど夏休みを取った金曜日で、契約済みという返信があったと思ったらほどなく契約者が保証の審査に引っ掛かったので契約がなくなったとの連絡が入ったので、その日の午後に早速見に行った。まだ心のなかに抵抗があり、内心面倒くさいと思いながらも、その面倒くささを追い払うように、連絡を受けた直後に電車に飛び乗った。目的の駅でおりて商店街を歩く心のうちには、なぜ自分はこの知らない町を歩いているのだろう、という不思議と不安が渦巻いていた。よそ者であることに意識過剰になりながら、ドキドキする気持ちを気取られないように商店街を抜けて、坂道を下り、大通りの並木の下をくぐった。そのマンションは、大きな公園のすぐ隣にたっていて、窓からの眺めもよく、レトロで味のある部屋だった。ドアを入るなり三角形のダイニングの変則的な形とDIYの白いペンキが目に飛び込んできた。ダイニングから直接つながる3つの寝室も、床や壁はDIYが施されていて、キャンプ地のような雰囲気があった。案内してくれた不動産屋のお姉さんも不動産屋さんというよりはキャンプのリーダーという風情の人で、家を見ているという感じがしなかった。ゆっくりと部屋を見た帰り、もと来た道をたどりながら、ひとつの任務をまっとうしたようなほっとした気持ちになった。その日を境として私は、ぎくしゃくしながらも、「家を探す」という現実を自分のこととして受け入れていった。


自分の住みたい家をととのえる。やっと夢を実現できる嬉しさと、生活が固定される気の重さとが混ざり合い、複雑な気持ちだ。これまでずっと生活の形が決められてしまうことに抵抗してきたから。(買わないにしても)家に思い入れを持つことはそんな私のポリシーに反する。でも、私は自らの選択として生活の形を決めることにした。抵抗をやめたというより、生活の形を決めるというチャレンジを受け入れることにした、というのが真情に近い。

マイホーム主義は嫌悪するが、自分の部屋がほしいという夢は子どものころからあった。父の仕事で小学校1年から5年まで住んだ米国の西海岸の家は、裏庭に面したリビングルームと3つの寝室以外に、通りに面した大きな窓の広い部屋があり、弟の誕生後はその部屋を自分専用に使っていた。部屋が大きかったので、区画にわけて使えて楽しかった。ダイニングルームから椅子を持ち込んで、部屋のなかにテントを作ったりもした。裏庭に大きな木があったので、そこにツリーハウスをつくろうとしたこともあった。結局うまくいかず、枝と枝のあいだに板をかけて終わってしまったが。あれはなんという木だったのだろう。乾いた小さな赤い実をつける木だった。

帰国後は西海岸の家の三分の一ほどしかない狭いマンションで、8畳程度の部屋を弟と共有しなければならなかったけれど、それでも間をエレクトーンと箪笥で仕切り、自分だけの部屋を作ることに固執した。布団を敷いたらいっぱいになるほどの狭い部屋だったけれど、それは自分だけの部屋だった。自分で大工センターから骨組みを買ってきて、棚を作ったりした。そのマンションがよかったのは、上階にいくほど部屋数が少なくなっていく構造で、飛び出した部屋の屋根に上の階の廊下からよじ登れることだった。誰も見ていない隙を見計らっては、屋根に登って自分の秘密基地にして遊んでいた。屋根の上には出っ張った構造物があったので、その上に座って本を読んだり、遠くを見渡したりした。


子どものころ、自分の部屋というのは物語と結びついていた。それは空想の入り口で、いつでも私はそこにないものを見ていた。空想を助けてくれるのは人形たちだった。よく考えると、たとえ友だちがいなくても、弟が遊び相手としては小さすぎても、人形という遊び相手がいた。いつでもその人形たちに話しかけることができた。今でも覚えているのは、まりちゃんとアンソニーという、母が作ってくれた1メートル以上ある男女の人形、30センチ程度の和服の女の子の人形(それも着物を含めて母がつくった)、キンバリーというプラスチック製の黒人の女の子の人形。その人形たちは、どこへ行ってしまったのだろう。いつから彼女たちと遊ばなくなってしまったのだろう。大切な友だちだった彼女たちとの別離の瞬間は、いまや思い出そうとしても思い出せない。

不思議なもので、大学卒業後は自分の部屋に対してほとんど思い入れを持つことがなかった。結婚前は、ルームシェアをしていたから間借りをしているという気持ちが抜けなかったし、結婚後もどう生活をしていくのかで頭がいっぱいで、落ち着いて家を整えるという気になれなかった。そのようにして形にはまってしまうことが怖くもあった。

今、引越しについて考えられるようになったのは、自分の仕事の方向性が少し見えてきたからというのもあるけれど、それと同時に、たとえ家を整えても、形にはまらないでいられると思えるからかもしれない。子どもの時と同じように、そこに空想の世界への入り口を見つけられたからかもしれない。これから何年も仕事をしながら生きていかなければならないけれど、いやだなぁと思いながらも仕事を続けるためには、自分を守ってくれる自分だけの空間が必要だ。以前はそれを親が作ってくれた。父がお金を払い、母が家の形をつくり、そこに魔法のシールドをかけて守ってくれた。でも、今は一人でそれをしなければいけない。自分を守る魔法のシールドを自分でかけなければいけない。腕の弱い魔法使いだけれど、持てる力を精一杯増やして自分の家を守っていかなければならないのだ。


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次回は10月の第3土曜日(10月19日)あたりに更新する予定です!

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