もう秋だ。
私にとっての秋は、ニューイングランドの秋だ。コネチカット川を抱く谷間が紅葉で埋め尽くされる風景の、眼を見張るような美しさだ。キャンパスを歩いていても突き抜けるような青空に映る木々の鮮やかな彩りが目に染みた。自然界がその輝きを増したようだった。みな、長く厳しい冬に備えて最後の陽光を楽しみ、力を蓄えた。来るべき冬の存在によって、秋の輝きはより強烈に放射された。
ニューイングランドの秋から冬へかけた季節を考えると、ピルグリムの父祖たち(pilgrim forefathers)を思わずにはいられない。自由を求めて新大陸にたどりついた彼らが、長い冬を生き延び、開墾して種をまき、収穫を得た秋を。彼らにとっての初めての感謝祭を。「新大陸」という呼び方自体の問題を認識しつつも、自由を求めて未知の世界に飛び出した彼らに自分を重ねずにはいられない。それはまだ幼い時に現地の小学校で学んだ米国の建国史が、私をその国の一部であるかのように思わせたからかもしれない。
そうなのだ。私は日本の歴史をならうよりさきに合衆国の歴史に親しんでいたのだ。星条旗への宣誓も暗唱した。毎朝、教室の前方にかかげられた旗にむかって唱えたその言葉は、私の体内を流れるリズムとなった。今でもなんなく暗唱できる。
不思議なことに、小学生の頃の私は、アメリカの歴史を異国の話としてではなく、そこに属するものとして聞いた。自分が日本人であることにはなんの疑問もなかったけれど、アメリカの歴史の部外者だと思うこともなかった。まるで自分が最初からその国に属していたかのような気持ちでいるじぶんになんの違和感も感じなかった。そして、アメリカの建国史は幼い私にとって非常に魅力的に響いた。ピルグリムの話も西部開拓の話も夢を与えてくれた。色々な本を読んで開拓時代の世界にひたった。なかでも「大草原の小さな家」は大好きで、日本語でも英語でも読んだ。また、ハロウィンにはピルグリムの女性に仮装したりもした。そもそも歴史は「知識」ではなかった。それは私を取り囲み、私の体内に浸透し、私の世界を形づくった。自分 を作りあげる物語として私はそれを受容した。その頃の私は日本もアメリカも等しく自分の一部として認識し、そこになんの境界も見いださなかった。周囲の人々も私がなに人かなど気にしていないようだった。
しかし、大学生として渡米したときにはまったく違う状況におかれた。当時アメリカ中のキャンパスがアイデンティティポリティクスの渦のなかにあり、スミス大学もその例外ではなかった。そのため留学生だった私も自分のアイデンティティを意識せざるを得なかった。学内には各エスニックグループを代表する組織があって、それぞれの主張を行なっていた。アフリカ系の子はアフリカ系の子同士で、ラティノ系の子はラティノ系同士でかたまり、そのグループから抜けることは裏切りとみなされた。境界を越えることは非常に難しく感じられた。アメリカ人と友達になりたいからアメリカに来たのに、アジア系の人としか付き合えないなんて変ではないか、と疑問に思ったのを覚えている。
最近、米国大統領選の民主党候補に立候補したカマラ・ハリス(Kamala Harris)の選挙戦のようすを伝え聞いて、境界を越えることの難しさをあらためて認識させられた。彼女はジャマイカ系、インド系アメリカ人でオバマ元大統領に続く候補と見られていた。その意味は、若者や有色人種など、層を超えた人々の心を勝ちとることができる候補だとみられていた。オバマ元大統領は、アフリカ系アメリカ人だけでなく白人や他の層の人々の支持を勝ち取ることができたからこそ選挙に勝てたし、初のアフリカ系の大統領になることができた。自分がもともと属するグループにしか受け入れられないままでは、勝てない。しかし、それは簡単なことではない。それが出来る人は稀だ。オバマ元大統領は奇跡のような人だったのだ。
境界を越えることは、どのようにしたら可能なのだろうか。
私はまだその答えを得ていない。ただ、それが大きなエネルギーを必要とすることであることはわかっている。
私はそのような力を得ることができるのだろうか。