2020年3月19日木曜日

「シリコーン」を通じて「化学」について考える



最近、「シリコーン」について勉強している。きっかけは、仕事でシリコーンに関わる案件が何件かあって、スーパーバイザーに「シリコーンの合成方法、知っていますか?知らなかったら自分で勉強しておいてね」と言われたことだった。

ちなみに「シリコーン」とは、ケイ素と酸素のシロキサン結合(Si-O)の主鎖に有機基が結びついたポリマーのことだ。ポリマーというと、炭素が何個も鎖のように連なっている長い化合物を指すことが多いのだけれど、炭素の代わりに-Si-O-が連なった鎖というわけだ。炭素ベースのポリマーと言えばプラスチックで、プラスチックは今や身のまわりのあらゆるところで使われているのは周知のとおりだが、シリコーンは、炭素ベースのポリマーほどではないにせよ、シャンプーやリンス、化粧品などの日用品にも使われているし(山谷正明[監修]、信越化学工業[編著]、『シリコンとシリコーンの化学』)、コンタクトレンズや乳房インプラントなどの特殊な用途にも使われており、私たちの生活に意外と浸透している。

ところで、このシリコーンという材料は自然には存在せず、SiO2からなるケイ石から工業生産されている。そもそもが工業製品だからだろうか、調べようとすると企業の提供する情報が多く、シリコーンに特化した本を求めている時に見つけた上記の『シリコンとシリコーンの化学』も信越化学工業という国内の化学会社によるものだ。この本はいわゆる「面白サイエンス」シリーズの一環で、イラストの多い素人向けの豆知識本だ。

しかし、この種の本をあなどることはできない。なぜなら、この一般向け豆知識本は、ことシリコーンに関しては、マクマリー有機化学やアトキンス無機化学等の基礎的な化学の教科書よりも多くを教えてくれるからだ。確かに専門用語を使わない点は不満だが、内容はポイントをついているし、不必要に単純化された部分は自分で他の資料を調べればいいので、勉強用の教科書として不足はない。さらに、その工業的な意義や、原材料の存在量など、いわゆる「化学的」知識とは異なる社会的な背景も教えてくれて、シリコーンについての理解を助けてくれる。そのような社会的な位置づけを知ることで、シリコーンを、単なる教科書のなかの抽象物としてではなく、現実社会のなかの一因子として認識できるようになる。

実際、中途半端に抽象的な化学一般を勉強するより、シリコーンという一つの材料について具体的かつ技術的に知ることの方が面白く感じる。たとえその知識が極めて狭い範囲のもので、「学問」と呼べないようなものであったとしても。

しかし、考えてみると「化学」とは何なのか、「学問」とは何なのか、よく分からない。さらに、なぜ自分が学問的な化学の勉強より技術的なシリコーンについての勉強の方が面白いと感じるのかも分からない。ここではそれらの問いに答えることはできない。そもそも安易に「学問的」とか「技術的」とか書いたが、現時点で、それらについて何らの理解も持ち合わせていない。

その代わりに、シリコーンについて勉強する中で化学について考えたことを、とりあえずの覚書として記しておく。

シリコーンとは、一つの材料だ。私がシリコーンについて勉強するということは、材料としてのシリコーンについて勉強することだ。材料とは何かの目的で使用するために自然から取り出され、加工されるものだ。そこでの化学の役割とは何かと考えると、材料を自然から取り出して使用するために材料について理解することだ。別の言い方をすれば自然を利用するために自然について理解する学問が化学と言えそうだ。少なくとも、現代における化学のあり方はそういうものだ。実際、電車に乗って車内を見渡した時、乗客の身体を除き、ほとんどすべてのものが加工品であることに驚く。乗客の服、めがね、かばん、スマートホン、イヤホン、窓、つり革、座席等々。町にでてもその状況はたいして違わず、私たちは材料を加工して作られた加工物に囲まれて暮らしている。その材料を加工するために使われているのが化学だ。

現代における化学は世界の成り立ちを理解するための学問ではなく、むしろ材料についてその性質やその現象の仕組みを解き明かすものだ。しかし単に解き明かすだけではなく、知り得た知識を、新たなものを作り出すために活用したりもする。そのような目的と結びついた化学のありかたは「技術的」と呼んでもよさそうに思える。それは狭くも感じるが、同時に、人間の本質のようにも感じられる。

このように考えていくと「シリコーン」に対して感じた自分の興味は、実は化学の考えに適ったもののようにも思える。また、「技術的」ということが「学問的」に劣ることではなく、むしろ人間としての本来的な姿のようにも感じられる。

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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

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