人がどのような家族に生まれ落ちるか、どのような教育を受け、どのような人と出会い、どのような仕事につくか、はすべて偶然だ。そこに努力の要素がないとは言わないが、その努力も偶然の範囲内のことだ。したがって、人が現在持っている地位や収入や資産は偶然の産物であって、そこには何の正当性もない。身分制のある社会で、貴族が多くの土地を持ち華やかな生活をできることが偶然に過ぎず何の正当性もないように、現在の日本社会で一流企業に入って多くの収入と安定した生活を得られることにも正当性はない。
現在の社会で、人がどこに生まれ、どのような教育を受け、どのような仕事に就くかが偶然の結果であったとしても、その偶然の結果として得られる処遇は大きく異なる。人は持てるものと持たざるものに振り分けられ、上に立つものと下にはいつくばるものが出てくる。そして、なぜあの人は私より持っているのだろうと互いに思う。しかし、ある人が恵まれた地位にあることに正当性がない以上、そこには常に緊張感がある。つまり、人は持つ者になった時、自分が他人より持っていることを正当化する根拠をなにも持たないまま、他人の視線にさらされ続けなければならない。人が同じ階層の人々の輪の中でつきあいたがるのは、そのような他者の視線に耐えられないからだとも言える。