コンプレックスというのは厄介なものだ。そもそもわざわざコンプレックスを感じたいと思っている人なんて一人もいない。気にしたくないのに気づいたら捕らわれているというのがコンプレックスだ。その存在は頑張る動機になることもあるけれど、物事の見方をゆがめ、関係の崩壊やチャンスの喪失やトラブルの誘因となることの方がはるかに多い。コンプレックスが全くない人なんてどこにもいないだろう。かくいう私もこれまでずっとコンプレックスに支配されて生きてきたし、未だに乗り越えられずに葛藤を続けている。
そもそもなぜコンプレックスについて考え始めたかというと、最近読んだ本の中でコンプレックスの固まりのような二人の人物と続けざまに遭遇したからだ。一人はほしおさなえの『活版印刷三日月堂』シリーズ中のエピソード「チケットと昆布巻き」に登場する竹野明夫という雑誌編集者。もう一人はノンフィクション作家、星野博美の『転がる香港に苔は生えない』に登場する著者の友人の香港男性、阿強(あきょん)。この二人の人生について考えたい。残念ながらこの記事を最後まで読んでもコンプレックスを乗り越える方法は書いていない。でも、少しは希望を感じられるようになるかもしれない。
ほしおの小説に登場する竹野は小さな情報誌の編集者だ。しかし、彼は自分の職業に引け目を感じ、友人の結婚式に出ても、一流企業に就職した友人たちの年収を自分のそれと比較して、自分を恥ずかしく感じることしかできない。でも、就職の時、他のより有望な企業を退けて出版社にこだわり続けたのは彼自身だった。竹野はもともと新郎と一番仲良かったにも関わらず、大手出版社に就職した新郎に引け目を感じて、以前のように接することができない。
そんな竹野は、仕事で出会った活版印刷屋の店主月野弓子に対して批判的な目を向ける。活版印刷のような時代遅れの仕事をして経営が成り立つとも将来性があるとも思えないと。成功から取り残された彼は、彼女がなぜそんな成功に結びつかない仕事で満足できるのかが理解できない。
一方、阿強は中文大学出身のエリートだ。彼は大学卒業後、香港返還前の1990年にカナダに渡り、カナダのパスポートを取得してから香港に戻って日系企業で働く。しかし、筆者が久し振りに再会した彼は大学時代にはなかったとげとげしさを見せる。彼は現状に対する不満をフリーのライターとして返還前の香港を訪れている筆者にぶつける。「なぜ今頃香港にきたの?」と。彼は労働者であふれる茶餐庁で突然英語で話し始め、広東語を勉強している筆者に対して広東語なんて無意味だと責める。筆者は彼の戦闘的な態度について考える。阿強は子供時代の貧しい環境から抜け出すために学歴に賭けて中文大学という香港では一目を置かれる一流校に進学したが、そこへ返還という問題が浮上して彼は学歴を利用して香港でキャリアを積むことよりカナダのパスポートという保険を手に入れる道を選んだ結果、カナダでの滞在時に受けた差別によってエリートとしての彼の自信は崩され、さらに帰国したらしたで彼は返還前の好景気の波に乗り遅れ、ふがいない仕事とポジションを余儀なくされたことで不満を持っているのではないかと。そして、仕事帰りに中文大学の図書館やプールに逃げ込むことで自信を維持しているのではないかと。
この二人の話を読んでいると、自分で選択するよりも周りの流れに合わせたほうが後悔は少ないのではないかと思えてくる。たった二人のサンプルから結論を引き出すのは早計過ぎるが。
それにしても胸がちくちくする。彼らのおかれた境遇は他人事ではない。
波に乗り遅れ、ほかの人たちが成功していくのに自分はそこから取り残されている状態はしんどい。特にそれが自分の選択の結果であるとすれば。私も何度、あのとき仕事をやめなければと思ったかしれない。しかし、時間は巻き戻せない。そして、私たちは現在自分に与えられている条件に従って生きるしかない。
興味深いのは、いずれの話においても、世間的な成功を求めそれを得られないことでコンプレックスを抱く二人の男性に対して、そういった成功とは無縁な女性が対置されている。彼女たちは別にオルタナティブな道が素晴らしいと言っているわけではないし、自分たちの生き方こそが成功なのだと言っているわけでもない。実際、筆者の星野博美は自分が会社の仕事で香港に来ている他の日本人に卑屈感を持つ時があると書いている。でも、企業に勤めたいと思っているわけでもない。そして彼女が彼女の価値観を持って生きているからこそ、彼女の書くものは面白いし、評価されている。『転がる香港に苔は生えない』というノンフィクションに関して言えば、このような本は大手メディアで仕事として香港返還に立ち会っても絶対書けない。自分でリスクを取ってそこに住み、あらゆる層の人と友人関係を作り、香港の人々の生活に入り込んでいったからこそ書けるものだ。
三日月堂の弓子さんも不思議なキャラクターだ。彼女はもともと事務員として企業で勤め、父親をガンで亡くした後に祖父の活版印刷屋を受け継ぐ。彼女がそれを続けているのは、すべてを失った彼女が人の役に立てると感じるのが活版印刷を通してだったからで、先のことを考えているわけではない。彼女が活版印刷で生きていこう、それを経済的に成り立たせようと決心するのは、その大分後になってからだ。しかし、我が道を行く彼女は、シリーズを通じて独特の魅力を放っている。最後には竹野に「世の中にはこういう人もいるんだな。こういう人に認められるためには、きっと、年収とか、勤務先じゃない、なにか別のものが必要なんだろう」と言わせるほどに、また、三日月堂に関わる高校生や大学生の女性たちのあこがれの存在となるほどに。
もがく竹野に対して彼の上司の佐々田は言う。「大人にも何段階かあってね。もがいているうちは一段階目。受け入れられたら二段階目」と。そして、竹野はもがきつつも自分の仕事を通じて新しい価値を生み出そうとしていく。作者のほしおさなえは、本シリーズの動機を以下のように表現する。「今はそれ(サラリーマンみたいなあり方)が本当に安定しているのかも分からない時代。これから生きていかなくちゃいけない人たちが、どうやって生きていくのかということを考えた時に、『仕事をすることがすなわち生きることである』という意識をある時点で持たないと強く生きていくことができない気がしたんです。」(https://book.asahi.com/article/11746489)
成功や失敗は偶然の結果だ。それを受け入れることは簡単なことではない。しかし、どこかで「私はこれで生きていくのだ」と覚悟を決めないといけない。誰でもなく自分の事としてそう思う。
参考文献
・ほしおさなえ、活版印刷三日月堂 庭のアルバム、ポプラ社、2017年
・星野博美、転がる香港に苔は生えない、文芸春秋、2006年
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