2020年11月23日月曜日

今川焼の何がそんなに特別なのか


 

この文章は「今川焼の何がそんなに特別なのか」という命題に応えようとする試みだ。「なぜ今川焼でなくてはいけないのか」、「今川焼でなくてはならない理由はどこにあるのか」と言い換えてもいい。今川焼には今川焼でなくてはならない理由がある。コンビニで買ったショートケーキではだめなのだ。

生きていくためにはささやかな楽しみがあった方がいい。大きなことである必要はない。というより、大きくない方がいい。心理的なハードルが低く手軽にできるけれど特別な感じがするということが大事だ。そういったものがあると、仕事で嫌なことがあったとき、人間関係がうまくいかないとき、あるいは少し疲れたときに、少しは心が前向きになれる。生きていくための心の安全弁のようなものかもしれない。

最近の私の楽しみは今川焼だ。連休の間は毎日食べた。必ず今川焼屋さんで焼いたのを買ってきてすぐに食べる。普段は図書館に行った帰りについでに買っていたのだけれど、この連休はわざわざ今川焼を買うために図書館まで行った。

今川焼のいいところはその場でお店の人が焼いて手渡ししてくれることだ。たとえ「あんください」「100円です」というだけのやり取りであったとしても、人の手を介する交流がそこにある。それが特別なのだ。物理的にも象徴的にも。のっぺりとした一日の中で、今川焼を買ったことが、一つの意味ある行為として心のカレンダーに刻み込まれる。つまり、今川焼を食べることの中には、買いに行くことも楽しみとして含まれているのだ。だから絶対に冷凍のものではだめなのだ。

2020年11月20日金曜日

作り変えられる身体 抵抗する身体


仕事をする自分について考える。仕事が私を作っている。私がある物体に力を加えるとその物体も私に力を加えるように、私が仕事をするとき、仕事も私に働きかける。そのようにして仕事は私の身体を組み替える。物理界における作用・反作用の法則はここでも生きている。

人はその仕事によって規定される。学者は学者が考えるように考えて振る舞い、警官は警官が考えるように考えて振る舞う。そして、道路工事のおじさんは道路工事のおじさんが考えるように考えて振る舞う。面白いほどに人はその職業の枠組みに従った思考を持つ。社会に出たての何者でもない人間が仕事を始めるとき、彼・彼女はその仕事の洗礼を受ける。仕事を始めるということは一つの道を選ぶことだ。

私たちはどこかで何者でもない自由、つまり、何者にもなれる自由、を手放して一つの道を選ぶ。それは社会で生きていくために必要とされることであり、決して完全に自由な選択ではない。生まれることが自由な選択ではなかったのと同じように。

誰もその節理に逆らうことはできない。どこかで一つの仕事を選び、その仕事でやっていくと覚悟を決めなければいけない。覚悟を決めたら、その仕事によって作り変えられることを受けいれなくてはいけない。そうしない者は偽物だ。

東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。