この文章は「今川焼の何がそんなに特別なのか」という命題に応えようとする試みだ。「なぜ今川焼でなくてはいけないのか」、「今川焼でなくてはならない理由はどこにあるのか」と言い換えてもいい。今川焼には今川焼でなくてはならない理由がある。コンビニで買ったショートケーキではだめなのだ。
生きていくためにはささやかな楽しみがあった方がいい。大きなことである必要はない。というより、大きくない方がいい。心理的なハードルが低く手軽にできるけれど特別な感じがするということが大事だ。そういったものがあると、仕事で嫌なことがあったとき、人間関係がうまくいかないとき、あるいは少し疲れたときに、少しは心が前向きになれる。生きていくための心の安全弁のようなものかもしれない。
最近の私の楽しみは今川焼だ。連休の間は毎日食べた。必ず今川焼屋さんで焼いたのを買ってきてすぐに食べる。普段は図書館に行った帰りについでに買っていたのだけれど、この連休はわざわざ今川焼を買うために図書館まで行った。
今川焼のいいところはその場でお店の人が焼いて手渡ししてくれることだ。たとえ「あんください」「100円です」というだけのやり取りであったとしても、人の手を介する交流がそこにある。それが特別なのだ。物理的にも象徴的にも。のっぺりとした一日の中で、今川焼を買ったことが、一つの意味ある行為として心のカレンダーに刻み込まれる。つまり、今川焼を食べることの中には、買いに行くことも楽しみとして含まれているのだ。だから絶対に冷凍のものではだめなのだ。