「船のわたしたちは、ほとんどが処女だった。」
この印象的な文章でジュリー・オオツカの『屋根裏の仏さま』は始まる。
「船の」とはどういうことか?
「わたしたち」とは誰か?
いぶかしむ読者は「わたしたち」が写真だけを頼りにアメリカの同胞の花嫁となるために日本各地から集められた娘たちであることを知る。背景に戦前の日本の貧しさを嗅ぎ取ることは容易だ。少しばかり歴史の知識のある者なら19世紀後半から20世紀初頭にアメリカに渡った「写真花嫁」の存在を思い浮かべるかもしれない。
この物語は、アメリカに移民した男性たちと写真だけのお見合いによって結婚して、一度も会ったことのない花婿を追ってアメリカに移民した女性たちの物語だ。彼女たちの物語は、祖国を捨てて新大陸に移民した多くの人々の列に連なる。しかし、彼女たちの物語は新しい土地での可能性にかける開拓者の物語ではない。それはむしろ、まだ見ぬ男性との結婚によって貧困を脱することを夢見た少女たちの物語だ。その意味で貧しい家族の口減らしのために売られていった、戦前の日本の多くの女性たちの物語に重なる。それらの女性たちと同様、彼女たちを待ち受けていたのは、夢みたものとは似ても似つかぬ貧しい小作農の夫と過酷な農業労働、白人社会の中で差別されながら隠れるように生きる日々、そして異文化で育ち親とは全く異なる価値観を持つ(親の文化をバカにする)子どもたちだった。
移民の物語というと、奴隷船でアメリカに連れ去られたアフリカの黒人の話はよく聞くが(正確には移民ではないが)、日本人の移民の話はあまり聞かない。
今までの私はアフリカ大陸からの奴隷を始めとする移民の物語を他人の話と思って読んでいた。
しかし、オオツカを読んでその印象が変わった。日本からアメリカへと海を渡る写真花嫁たちの物語が奴隷船でアメリカに渡る女性たちの物語と重なった。奴隷と自由人のちがいはあるけれど、だまされてアメリカ社会の底辺に組み込まれていく彼女たちの物語には悲痛な共通性がある。
「船のわたしたち」と語り始められる本書の特徴は、一人称複数の視点で語られていることにある。特定の一人の視点によって物語が進行するのではなく、集合としての花嫁たちの声が寄せ集められる。名のない女性のつぶやきが重ねられる。あれって痛いのかしら? 健康で、酒を飲まず、賭けごとをしない、それさえわかれば、あたしには十分。窒息させられると思った。
文章は畳みかけるように反復する。
「その夜、新しい夫は、わたしたちをすばやく奪った。平然と奪った。そっと、けれども手をゆるめず、無言で奪った。」
「わたしたちのなかには、生まれてからずっと病気がちで体の弱い者もいたが、リバーサイドのレモン農園で一種間働くと、雄牛よりも体力があるように感じられた。ひとりは、最初のひと畝の草むしりが終わる前に倒れた。泣きながら働く者もいた。悪態をつきながら働く者もいた。わたしたちはみな、痛みを抱えて働いた――手にはまめができて出血し、ひざはひりひりして、腰の痛みは消えなかった。」
「わたしたちは彼女たちが大好きだった。彼女たちが大嫌いだった。彼女たちになりたかった。なんて背が高くて、美しくて、色が白いのだろう。長くて優雅な手足。白く輝く歯。白く明るい肌は、顔の七難を隠した。」
一人の視点を通じた伝統的な物語の形式のほうが物語として面白く読める。しかし『屋根裏の仏さま』では一人称複数の形式が成功している。伝統的な形式では出せない効果を出している。もし『屋根裏の仏さま』が一人の視点によって、例えば、一人称で「私」あるいは三人称で一人の女性の話として書かれていたら、もっと嘘っぽくなり、現在のリアリティは生まれなかっただろう。つぶやきが重ねられ、多くの体験が重層的に描かれることで、日本人移民の体験が自分のことのように感じられる。その時空間に立ち会っているような気になる。それはオオツカの文章の力だ。
移民文学は長らくアメリカ文学の一部として存在してきた。それは移民がアメリカという国の成り立ちを支えていることを考えれば当然だ。オオツカの『屋根裏の仏さま』もその一端を担うものと言えるだろう。しかし私は、この物語をアメリカの国家形成の物語としてではなく日本史の一片として読んだ。写真花嫁の女性たちの話は、戦前の日本の姿を表している。一世の彼女たちのメンタリティは当時の日本人のメンタリティであり、受入国アメリカでの彼女たちの経験は当時の世界における日本の存在の仕方でもある。
本書は日本史の一部として日本文学として読み直されてしかるべき本だ。
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