昨日池袋theater mixaで小川哲原作『四月十一日を千二百回繰り返したと主張する男』観劇。町の人の多さに圧倒される。人混みがますます苦手。サンシャイン60通りの真ん中に劇場があって、繁華街から舞台というアングラ的?文化空間への移行に意識が戸惑う。
立ち見が出る満席。その場にいる人々は一体どういう人たちなのだろう? 見当がつかない。彼らはなぜ、何を求めて劇を見に来るのか。
久しぶりの舞台鑑賞。最後に舞台を見たのはいつか覚えていない。「文化的イベント」から遠ざかり、ちゃんとした社会人として生きようとしてきた年月。何かになろうとしていた日々。私は一体何になろうとしていたのだろう。
今は「文化」することを自分に許す。懐かしい感覚。アメリカ人の友人と大学時代をリプレイする。
三人の演出家の競作という企画で、私は三人目の演出の回に行った。朗読劇なのに、カーテンの手前で朗読、後ろに役者の演技の影を映し、朗読と演技が混ざり合う。繰り返し生きたと主張する男は救い主なのか狂人なのか。宙吊りとなる解釈の開かれが面白し。原作者の意図と演出家の意図が重なり合い、アフタートーク後、友人と感想戦で盛り上がる。いいね、いい。観劇のこういう楽しみ方。気持ちが若返る。
アフタートークで見た小川さんは長身を小さくするようなぎごちなさにアウェイ感が漂っていた。声優と演出家の、外に向かうパフォーマティブなトークと対照的。恥ずかしがりやらしい。小川さんを見るのは初めてなのに、動画で何回も見てきたせいでよく知っている人のような錯覚。こうやって推しとファンの認識の食い違いが生じるのだな。
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