2024年11月7日木曜日

東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519


先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。

「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。

吉本隆明を愛する哲学者の友人がいる。彼は『マチウ書試論』の〈関係の絶対性〉の思想に「徹底的に強いられているが故にこそ根底的な自由」を感じたと言う。「関係の絶対性っていうのは、服のなかのゆとりのようなものなのよ」と説明してくれた。東北で大地震が起きた年だった。


残念なことに、当時の私には〈関係の絶対性〉の思想の意味を理解することはできなかった。今回東浩紀さんの講義を聞いて、十年以上前の友人の話が甦ってきた。「戦争(政治)の外部」、「平和の空間」への言及が幾度となく変奏されるのを聞きながら「服のなかのゆとり」と言った友人の言葉の意味が、十年の時を経て、より具体的に実感をともなって分かってきた。そして学校経営者として彼が大学でしていることと、ゲンロンの経営者として東さんがゲンロンでしていることが重なりあった。それは言ってみれば、社会から守られた空間を社会の中に作ることだ。その空間のなかで「時間が曲げられる」。


思えば、東さんを知ったのも、その友人がリツイートしたコロナ禍の東さんのツイートを通してだった。2020年春。私はコロナに対する不安でいっぱいで、ロックダウンしてほしいとまじめに願うやばい状態だった。そんな自分のあやうさに気付けたのはひとえにあのツイートのおかげだ。今回の講義に沿って言えば、私は完全にコロナという戦争(政治)の内部にはまって何も見えなくなっていた。


どうも私は「戦争の内部」にはまりやすい性格のようだ。というのも、ウクライナ戦争が勃発した当初も、プーチンをどうにかしなくてはいけないとしか考えられなかったし、今は、環境破壊に加担している人や無関心な人を許せないという思いに駆られている。もともとの私は「正しいこと」を言う人が嫌いだし、社会運動をする人に疑念を感じていたにも関わらず、日々の生活のなかで「正しいこと」を求める自分がいる。政治とは友と敵を分けるものとの言葉そのままに、地球温暖化に無関心で、ガソリン自動車を乗り回す人を「敵」と感じてしまう。普通に生きている他人の行動がいちいち敵か味方かに分かれていく。


一体どうすればいいのだろう。ヒントを求めて話を追う。ヒントの一つは、悪の愚かさに関する質問への東さんの回答だ。質問では政治の外としての平和の空間は、愚かさの場として捉えられていた。その回答とは、なんとなく生起する悪をどう記録するかが大切、愚かさは平和を生むから善とか、戦争を生むから悪というものではない、というものだ。質問者の求めていた答えではないかもしれない。私の求めていた答えではなかった。私が期待していたのは、愚かさは平和を生むから善とか、戦争を生むから悪、という種類の答えだった。私は曖昧さに耐えられなかったのだろう。曖昧さに耐えられないから「正しさ」を求めてしまう。ぼんやりと悪が生まれる瞬間が怖いから、その可能性を排除したくなる。アリバイ作りのように。でも逆に、誰も悪をしようと思って加害をしているわけではないと東さんが言ったように、今私が善と思ってしがみついていることが、悪に転じることだってあり得るのだ。そう考えるとますます「正しさ」にしがみつくことは問題に思えてくる。


そのような態度に対する東さんの考えははっきりしていた。

――生活のすべてが政治の訳はない。政治と政治でないものをきっぱりわけないといけない。

――平和は副産物。副産物こそを目的としないといけない。それはおかしなことだけれど、おかしさを引き受けなければいけない。


結局どこかで「おかしさを引き受ける」と決めるしかないのだろう。自分自身の問題として、自分のなかに「平和の空間」を作ること、それは善悪に切り分けたい自分の欲求を抑制すること、曖昧さに耐えることでもある。


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追記。上の段落まで書いて一晩経って、もう一つの可能性に気づいた。質疑応答での東さんの回答は、抽象的な話と同時に極めて具体的・実務的な話が多かった。その中で喧騒を作り出すこと、宴会を盛り上げることは、意識しないとできないという話があった。その話を悪の愚かさにおける平和の空間(=愚かさの空間)と結びつけて考えたとき、愚かであることができる平和の空間は、演出によって雰囲気が変化し得るのだということに思い至った。悪がぼんやりと生成することを記録するのが難しいのは、それが場の雰囲気みたいなものだからでもあるだろう。そして、多くの人に経験があるように、複数の人が集まる場というのは、そこに楽しい会話がないと、悪意のあるうわさ話やろくでもない方向に流れやすい。逆にそうならないためには、意識的な演出が必要だ。ゲンロンで行っているのは、そういうことなのではないか。より知的な平和の空間を作り出すことによって、愚かさが悪へと流れていくことを防いでいるのではないか。

https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240519

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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

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