2019年5月25日土曜日

味の素®と漱石



                 
日本発の調味料、味の素®が開発されたのは明治末期のことだった。味の素®の基盤技術である「グルタミン酸塩を主要成分とする調味料製造法」について発明者の池田菊苗が特許を取得したのは1908年(明治41年)だ。このとき、明治政府が樹立され、欧米列強に追いつこうとする体制が敷かれてから41年が経過していた。41年という期間が、日本人が自力でこのような商品を開発できるようになるための期間として長いのか短いのかは分からない。ただ、たとえ「海外技術と国産技術の差は歴然であって、国産技術に対する信頼度は低かった」という状況であったとしても1)、グルタミン酸ナトリウムを製造し商品化するレベルの知識や技術がすでにあったことは確かだろう。

参考までに記すと、この時世界では量子力学への胎動がはじまっており、1904年(明治37年)には、J. J. Thompsonが原子構造についてブドウパンモデルを、1907年(明治40年)にはドイツ帰りの日本人、長岡半太郎が土星型原子モデルを発表している。1907年は、中間子理論を構築した湯川秀樹が生まれた年でもある。

このように見ると、科学においては、明治から現代までが地続きに感じられる。湯川秀樹などは私にとって少し年上の偉い人というイメージだ。そのような印象は、特許庁のデータベースに保存された池田の特許を見たときにも受ける。

この印象は池田と同時代人の夏目漱石を昔の歴史上の人物のように感じるのと対照的だ。

実は、漱石と池田は同時代人であるばかりでなく友達同士だった。私がその事実を最初に知ったのは味の素社の社史を通してだった。そこには池田について「大の読書家としても有名で、…漢書、英書、歴史、文学、経済、宗教、思想など幅広く書物として接し、さまざまな知識を有していた。イギリスに留学した際、同じ下宿にいた夏目金之助(漱石)が、池田のそうした造詣の深さに感心し、影響を受けたという」と書かれていた1)

意外に思って、漱石のろんどん留学日記3)を確認すると、確かに池田に関する記載が見られる。曰く、

明治3453日(金)Streathamに至る。Glasgowへ受取を出す。諸井氏より返事来る。神田氏在英の事を知る。主人に手紙引換を頼む。池田氏の部屋出来上がる。」

55日(日)「朝、池田氏来る。午後散歩。神田・諸井・菊池三氏来訪。」

56日(月)「池田菊苗氏とRoyal Instituteに至る。
夜十二時まで池田氏と話す。」

59日(木)Tooting Commonに行く。読書。夜、池田氏と英文学の話をなす。同氏は頗る多読なり。」

515日(水)「池田氏と世界観の話、禅学の話などす。氏より哲学上の話を聞く。」

516日(木)「小便所に入る。宿の神さん曰く、男は何ぞというと女だものというが、女は頗るusefulな者である、こんなことをいうのは失敬だ、と。
 夜、池田氏と教育上の談話をなす。また支那文学について話す。」

池田は漱石のろんどん留学日記にもっともよく登場する日本人の一人かもしれない。日記を読むかぎり、よく議論した相手であることは確かだ。この時の対話がのちの『文学論』に開花したと言われている2)

ある場所で知りあった友達が、それとはまったく無関係な場所でえた別の友達と知り合い同士だったと知るのは嬉しい驚きだが、この二人の邂逅にも似たような感慨をおぼえる。

参考文献
1) 味の素、味の素グループの百年史、序章、pp 30-33
2) 恒松郁生、漱石個人主義へ、雄山閣、2015p 266
3) 平岡敏夫編、漱石日記、岩波書店、2010

2019年5月23日木曜日

日本発のアミノ酸製造技術

(写真 味の素社HPから)

東南アジアの食堂ではテーブルに味の素®のびんが置かれ、人々はつゆが白くなるほど味の素®をかけて食べるという話を聞いたことがある。ヌードルを頼んで食べたら妙においしいので何が入っているのかと思ったら、味の素だったとも。

このようなはなしは、味の素®という日本人になじみ深い調味料が日本以外の国でも広く受け入れられていることを私たちに教えてくれる。

ご存知の方も多いだろうが、この味の素®の正体はグルタミン酸ナトリウムという化合物である。グルタミン酸は、うまみ成分として知られる以前にアミノ酸の一種として知られていた。味の素®の開発は、かつて存在しなかった新規な調味料を生みだしたという点において画期的であったばかりでなく、世界で初めてアミノ酸を商品化したという点においても画期的だった。

ここでアミノ酸について簡単に説明する。

アミノ酸とはタンパク質の構成成分である。化学構造として、同じ分子の中にアミノ基(-NH2)とカルボキシル基(-COOH)を有する化合物を、総じてアミノ酸と呼ぶ。アミノ基とカルボキシル基の結合する炭素の位置によって、α、β、γ、などのアミノ酸が存在する(図2.1)。


2.1 α、β、γーアミノ酸の構造式
タンパク質を構成するのは、このうちのα-アミノ酸である、化学式は図2.1(a)のように示され、Rの違いによって通常のタンパク質に含まれるアミノ酸は20種類である。その20種類とは、グリシン、アラニン、バリン、ロイシン、イソロイシン、セリン、スレオニン、システイン、シスチン、メチオニン、フェニルアラニン、チロシン、トリプトファン、プロリン、アスパラギン、グルタミン、アスパラギン酸、グルタミン酸、リジン、ヒスチジン、アルギニンである1)

このような生体内での意義のほかに、商品としての利用価値を見つけたのが東京帝大理学部の教授池田菊苗であった。池田は1907年、妻の買ってきた昆布のうま味に興味を持ち、それを人工的に作り出せないかと考えた。彼は大学の実験室で昆布のうま味成分の抽出実験をはじめ、そのうま味成分がグルタミン酸と一致することを見出した。また、グルタミン酸の酸味を除くための工夫をして、ナトリウムを使って中和するとよいとの結論に至った。この化合物を工業化することを求めた池田は、さらにグルタミン酸ナトリウムの製造方法を考案して特許を取得した2)

その特許は「『グルタミン』酸塩ヲ主要成分トセル調味料製造法」を名称とする特許第14805号である。そこには、強酸を用いてタンパク質若しくはタンパク質含有物を加水分解して生じた生成物を塩基によって中和する方法が記載されている3)




工業化を望んだ池田は、特許取得とともに実業界の各方面に対して、この特許を使用した新しい調味料の事業化を働きかけたが、なかなか受け入れられなかったようである。味の素の社史は、明治以来の日本では海外の先進技術を導入することに重きがおかれ、国産技術は信用されていなかったことをその一因としてあげている2)。最終的に池田は鈴木製薬所(味の素の前身)の二代三郎助に事業化をもちかけた。鈴木は、この新規なうま味成分に商機を感じたのであろう、これを承諾し、それによって味の素®の商品化への道がひらけた。とはいえ、それまで誰も聞いたことのない調味料を売り出すことは決して簡単なことではなかったようである。鈴木はさまざまな方法で広告をし、販路開拓の努力をしている。広告するにも誰も聞いたことのない商品であったため、商品の使い方の説明から始めなければいけなかったそうである4)

また、製造技術の問題もあった。池田の開発した方法は、小麦のグルテンまたは大豆たんぱく質を塩酸で加水分解し、分解液からグルタミン酸ナトリウムを分離・精製するという方法であった。しかし、原料を輸入に依存するため、海外の事情によって量的な制限を受け、また国内の農業保護のために輸入規制されたので価格が高かった。さらに、塩酸を使用するため設備がすぐに腐食したし、公害の原因にもなった。そのような問題を克服するためにさまざまな工夫がされたが、根本的な解決にはいたらず、新たな製法をみつけることが必要となった。そのために化学合成法と発酵法の二つの方法が研究され、最終的に発酵法が採用されるに至った1)

ここで考案された発酵法は、日本で生まれた技術として現在のアミノ酸生産技術の中核をなしている。この技術についてもいずれ解説したいが、今はここまでとする。

参考文献
1) 中森茂、アミノ酸発酵技術の系統化調査、国立科学技術博物館 技術の系統化調査報告第11集、2008
2) 味の素、味の素グループの百年史、序章
3) 特許第14805
4) 味の素、味の素グループの百年史、第1章

2019年5月17日金曜日

"The 10 Most Important Women in Tennis History"

Each sport has its unique history.
Women’s tennis is no different.  It  has a unique history that is totally different from the men’s.  Not only is it a history of tennis, but it is also a history of women (or rather, herstory).  As much as it is hard when you live in Japan to grasp in its fullness, Women’s tennis as it exists today would not have come about without the Women’s liberation movement.  The podcast No Challenges Remaining Episode 224 “The 10 Most Important Women in Tennis History” opened my eyes to the history of Women’s tennis such that I, a Japanese woman with little if no interest in tennis up to now, now feels a special bond to the names such as Billie Jean King and Chris Evert.
The program is hosted by Ben Rothenberg, a freelance writer for New York Times, and Courtney Nguyen, from WTA Insider.  The heated discussion of the twosome who are invested in tennis is intriguing.  The criteria of selecting the “most important 10” is how much the person affected women’s tennis.  The focus is not only on the players’ performance on court, but rather on the business side and the battle to improve women’s positions, which makes professional tennis professional tennis.  Ben also mentions that especially for one of his picks, it shows his cynicism towards tennis.
The “10 most important” women that Ben and Courtney picked are as follows.  The first five are from Courtney’s list of Mt. Rushmore, and she only picked these five.  Ben gave five others in addition to the former five, but says that he cannot number them.  I will discuss the five that are on both lists, and one controversial woman from Ben’s list.

Billie Jean King 
KATHY WILLENS / AP/PRESS ASSOCIATION IMAGES

Women’s tennis would not have been what it is today without her.  She was a player and also a founder of WTA at the same time, and flew to NY during tournaments to attend a business meeting and then fly back to continue in the tournament, thus laying the foundation for WTA.  She was an iconic figure in feminism, and also a business person that used femininity such as fashion and glamour to market women’s tennis, and built the most successful women’s sports league.

Chris Evert

(Photo by Jean-Yves Ruszniewski/TempSport/Corbis/VCG via Getty Images)


The woman that symbolized the women’s tennis league that Billie tried to found was Chris Evert.  She gathered the crowd.  She was pretty and also a serious player on court, and turned people’s eyes to tennis.  Her balance of being feminine and at the same time athletic won the respect of male commentators.

Martina Navratilova
(Getty Images)
Navratilova was Chris’s rival.  Together they led women’s tennis.  Navratilova brought professionalism into the sport and raised the bar.  Billie, Chris, and Navratilova together made the golden age of women’s tennis.

Venus Williams

(Getty Images)
The older of the Williams sisters.  The reason Courtney chose Venus instead of Serena was because as the older, she was the one to do everything first.  She also stood up for equal prize money, standing in front of the All England Club during the tournament at Wimbledon to demand equal prize money.  Her act was a step for women to gain the same prize money as men.

Li Na

(Getty Images)
I think that the core of this podcast was Li Na.  I even think that this program was created just to talk about Li Na.  She won only two grand slams, and was never ranked No. 1.  But she literary opened the door to tennis for 1 billion Chinese people.  Her impact can be seen by the number of Chinese sign boards in the courts, and by the fact that China is now hosting 8 major tournaments at a time when European and American companies cannot afford to do so.  This provides many employment, and supports the women’s tennis industry.  Li Na also opened up the inward focused Chinese tennis circle by training under a European coach and fighting in the world.  This became a model for Chinese players following her, and there are now many Chinese players competing globally.

Anna Kournikova
https://edition.cnn.com/2015/11/09/sport/gallery/anna-kournikova-tennis-sport-marketing-sponsorship/index.html
This photo shows what kind of presence Anna, which was the target of Ben’s cynicism, held.  She was a good player, but never won a tournament.  Her fame came not from tennis, but her looks.  But, she put butts in seats.  And WTA used her glamourous charm for its own sake.  Such glamour is an inborn DNA of WTA says Courtney.  WTA thrived by selling not just the sport but also the look.


Other names that were mentioned were Althea Gibson, the first African American player, Monica Seles, the forerunner of power tennis, and Suzanne Lenglen, who was a star that was one of the first to earn a living by tennis, and ofcourse the other William sister, and an American cultural icon, Serena Williams.


「テニスの歴史で最も重要な10人の女性」

2019年10月6日現在、北京大会での大阪なおみ選手の活躍にワクワクしながら、久しぶりに公開します。(2019.10.06)
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 どのスポーツにもユニークな歴史がある。
 当然、女子テニスには女子テニス特有の、男子テニスとは異なる歴史がある。それはテニスの歴史であると同時に女性の歴史でもある。日本にいると実感は薄いけれど、現在の形での女子テニスは女性解放運動がなければあり得なかった。ポッドキャストNo Challenges Remainingのエピソード224「テニスの歴史で最も重要な10人の女性」は、それまでテニスにほとんど無関心だった私がビリー・ジーン・キングやクリス・エバーツという名前に思い入れを感じるまでに、女子テニス史の面白さを伝えてくれた。
番組のホストは、ニューヨークタイムズのライター ベン・ローゼンバーグとWTCインサイダーのコートニー・ニュグエンだ。女子テニスに思い入れを持つ二人の熱い議論が楽しい。「重要な10人」の選択基準は、女子テニスのあり方にどれだけ影響を与えたかということだ。選手としてのコート上の成績だけに注目しているわけではなく、プロテニスをプロテニスならしめた、ビジネス面や女性の地位向上をめぐる戦いにも、というよりむしろそちらに重きを置いている。また、ベンは彼の選択、特にそのうちの一人について「テニスというスポーツの現実についての僕のシニシズムを表している」とコメントしている。
ベンとコートニーのあげた「重要な10人」は以下の通りだ。最初の5人はコートニーのリストに挙げられた5人で彼女は5人しか上げなかった。ベンはさらに5人を挙げたが、その10人に順位はつけられないと言う。ここでは、二人のリストに共通の5人と、ベンのリスト上の物議を醸したある女性について特に述べる。

 
ビリー・ジーン・キング(Billie Jean King
ビリー・ジーン・キング
 彼女なくして現在の女子テニスはなかった。選手であると同時にWTAの創設者の一人でもあったビリーはツアーの真っ最中にニューヨークでの役員会議に飛び、次の試合までに戻るというスケジュールをこなしながら、WTAの基盤を築いた。フェミニズムの象徴的存在であると同時に、ビジネス意識も持ち、ファッションや美しさなどの女性らしさを利用して女子テニスを売り込み、世界一の女子プロスポーツリーグを作った。
クリス・エバーツ
 ビリーが始めようとした女子テニスリーグの象徴だったのがクリス・エバーツ。クリスが観客を集めた。その美しさとコート上での強さによって人の目をテニスに向けさせた。彼女は女性らしいと同時に真剣なアスリートであるという絶妙なバランスを持っていて、男性コメンテーターの尊敬をも集めた。
マルチナ・ナブラチロワ
 クリスのライバルだったのがナブラチロワだ。二人は競り合って、女子テニスをけん引した。テニスにプロ意識を持ち込み、期待値を上げた。ビリー、クリス、ナブラチロワの三人が女子テニスの黄金時代を作り上げた。
(Photo by Jean-Yves Ruszniewski/TempSport/Corbis/VCG via Getty Images)
クリス・エバーツ(Chris Evert
(Getty Images)
マルチナ・ナブラチロワ(Martina Navratilova

ビーナス・ウィリアムズ
 ウィリアムズ姉妹の姉の方。コートニーがセリナでなくビーナスを選んだのは、彼女が年長者として先に道を開いたから。また、女性の賞金を男性と同等なものにすることを要求するために立ち上がった功績も多くの人の認めるところだ。彼女はウィンブルドンでの大会でオール・イングランド・クラブの役員会の前に立って同一の賞金を求めて訴えた。それが男性と同等な賞金を獲得するための大切な一歩だった。

(Getty Images)
ビーナス・ウィリアムズ(Venus Williams
(Getty Images)
李娜(Li Na
李娜(リー・ナ)
 このポッドキャストの肝は何と言ってもリー・ナだ。リー・ナについて語るための番組だったのではないかとさえ思う。リー・ナはグランドスラムで2度優勝しただけだし、ランキングが1位になったことはない。

でも、中国の10億の人口に対してテニスの門を現実的な意味で開いた。そのインパクトは試合会場の広告に多数の中国企業の名前が並ぶことから実感できるし、欧米が金銭的に大会をサポートできなくなる中で中国が8つのメジャーな大会を主催するようになり、多額の賞金を提供していることからも分かる。それによって多くの雇用が生みだされ、女子テニス産業が維持されている。彼女はまた国内で完結していた中国のテニス界に風穴を開け、ヨーロッパ人のコーチの下で世界の舞台に飛び出すことで、その後の中国人選手のモデルとなった。今や多くの中国人がグローバルに進出している。
アンナ・クルニコワ
 ベンのシニシズムの的であるアンナがどういう存在だったかは、この写真を見れば想像がつくだろう。彼女は、それなりに強い選手だったけれど、大会で優勝したことはない。彼女の知名度はテニスの強さによってではなくルックスによる。でも、彼女がいることで席が埋まる。WTAはそのグラマラスな魅力を積極的に利用した。そのような派手さはもともとWTAのDNAに組み込まれているとコートニーは言う。WTAはスポーツ性だけでなく女性のルックスをも売り物にすることによってこれまで栄えてきたのだ。
https://edition.cnn.com/2015/11/09/sport/gallery/anna-kournikova-tennis-sport-marketing-sponsorship/index.html
アンナ・クルニコワ(Anna Kournikova

それ以外に上がった名前は最初のアフリカ系アメリカ人のテニス選手アリサ・ギブソン(Althea Gibson)、パワーテニスの先達モニカ・セレス(Monica Seles)、スター性をもって初めてテニスを職業として成立させたスーザン・レンレン(Suzanne Lenglen)、そして現在のアメリカの文化的象徴となっているセリナ・ウィリアムズ(Serena Williams)だ。
読者は、この話がアメリカ中心であることに気づいたかもしれない。実際に10人の中でアメリカ人でないのはリー・ナとスーザン・レンレンの二人だけだ。日本人選手の名前は一人も上がっていない。
そもそも女子テニスというのはアメリカで発展したスポーツだ。そして、日本人でそれほどの影響力を持った選手がいたのか、と考えると、そのような人はいない。ただ、番組のなかでも大阪なおみへの言及はあった。二人の立場は、彼女は若すぎてまだその影響力は分からないというものだった。さらに、「日本の文化について知る限りでは、大阪なおみが登場したからといって日本が5つの大会を主催するようになるなんて考えられないし、女子スポーツが大きく広がるとも考えられない」との意見も提出された。コートニーのこの予想が正しいかどうかは時の答えを待つしかない。

2019年5月11日土曜日

2019 BNPパリバ・オープンを見る Watching 2019 BNP PARIBAS OPEN

* English follows Japanese.

WTA(女子テニス協会)がYou tubeにあげた試合の完全映像の中に2019 BNPパリバ・オープンの決勝戦のものがあったので、見た。この決勝戦は、カナダからの若きスター、ビアンカ・アンドレスキューを世に知らしめたとものして記憶に新しい。18歳のアンドレスキューは、この大会で、ドイツのアンゲリク・ケルバーをくだしてセリナ・ウィリアムズと並ぶ最年少の(BNPパリバの)チャンピオンとなると同時に、ワイルドカードから優勝を手にした初の選手となった。

試合は3セットにわたり、アンドレスキューは第1セットを6-4で取ったものの、第2セットは3-6で取られ、第3セットで6-4を取ることによって辛うじて優勝した。映像を見ると、彼女が圧倒的な実力の差により勝つべくして勝ったわけではないということが分かる。

映像を見て気づくのは、アンドレスキューは決して選手として優勢には見えないということだ。筋肉質でアスリートらしく引き締まった体格のケルバーに対してアンドレスキューは身体こそ大きいものの、引き締まっているとは言い難い。丸みのある体格で、X脚のせいか足を引きずってのしのしと歩く。膝から足首までより膝から脚の付け根までの方が長い。アスリートとしては、不利な体格に見える。

この大会はインディアン・ウェルズという南カリフォルニアの砂漠の中にある町で行われるのだが、決勝戦のあった317日の最高気温は30℃にまで上った。晴れ渡った空の下、太陽が強く照りつける中で、試合は2時間半に及んだ。それがどれだけ暑く、体力を消耗するかは、映像からは分からない。ただ、アンドレスキューは第2セットからすでにばてていた。第2セットと第3セットとそれぞれ一回ずつコーチが下りてきて指導していたが、どちらも力づけようとするコーチの言葉に対して、どうしていいか分からない、と泣きそうな声で反発していたし、2回メディカルタイムアウトを取ったばかりでなく、第3セットでは、「脚が燃えるように熱い」「すごく疲れている」と限界を訴えていた。それに対するコーチの言葉は「限界を押すんだ。お前は強い選手なんだ」と、彼女の体力の限界を超えることを求めるものだった。彼女は休憩があるごとに脚に氷をあて、試合中も痛みをこらえている様子を見せた。身体的にはほとんどボロボロだったと思う。それに対してケルバーは、ずっと涼しい顔を崩さなかったし、アンドレスキューに比べて精神的・肉体的余裕があるように見えた。

だから、第3セットにアンドレスキューが勝てたのは決して当然ではなかったし、本人もできると思っていたわけではないと思う。ただ、苦しくてたまらないけれど限界を押して球を打っていたのだとしか思えない。しかし、結果はアンドレスキューの勝利に終わった。

なぜ彼女が勝ったのか、あとからならいくらでも理由は考えられるけれど、そのような勝利に関する説明はどれも後付けの理由にしか思えない。
* テニスにおけるワイルドカードとは、大会に参加するにはランキングが足りない選手に対して主催者の推薦により参加を認める制度。
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In the full matches uploaded on You tube by WTA (Women’s Tennis Association), there was the finals for 2019 BNP Paribas Open, so I watched it.  This final was fresh in my memory as the game that introduced young Bianca Andreescu to the world.  The 18 year old Andreescu beat Angelique Kerber from Germany to be the youngest player to claim the title next to Serena Williams, and to be the first Wild Card player to become the champion.
The game ran to three sets, in which Andreescu took the first set 6-4, but lost the second  3-6, and took the third 6-4 to barely win the game.  By watching the video, you can see that it is not by an utterly overwhelming strength that she was able to win.
When you watch the video, you realize that Andreescu does not seem to have an extreme advantage as a tennis player.  Whereas Kerber is muscular, and her body is well in shape, Andreescu, although she is large, does not have a lean, muscular figure.  She is rather chubby, and a bit knock-kneed making her drag her feet as she walk.  The length between her knee to her foot seems shorter than between her knee and the hip.  It looks as if she does not have an advantageous build as an athlete.
The BNP Paribas Open is held in Indian Wells, which is a city in the desert in southern California.  The highest temperature on the day of the finals, March 17, rose to 30.  Under a clear, blue sky and the hot sun, the game lasted for 2 and a half hours.  The video does not convey how hot it was, or how much the heat wore down the players physically.  But, Andreescu was clearly worn out from the 2nd set.  Her coach came down on court during the 2nd and 3rd sets, but each time, she complained in an almost winy voice saying that she didn’t know what to do against her opponent to the coach’s words to pump her up.  What’s more, she took two medical time outs, and in the third set, cried out that “her legs were burning,” and that she “was so tired”, indicating that she was reaching her limits, to which the coach told her that she has to push further, beyond her limits.  She rubbed ice bags against her legs every time they took a break, and looked like she was enduring pain during the match.  It seemed that her body was on the verge of breaking down.  On the other hand, Kerber was cool, showing no sign of fatigue, and looked like she had much more mental/physical left than Andreescu. 
So, it was not at all apparent that Andreescu would win the 3rd set, and she herself probably did not have any idea during the match whether she will win.  It seems just that although she was worn down and in pain, she kept on pushing beyond her boundaries, reaching for the ball and hitting back.  Even though this was the case, the result was victory for Andreescu.
Many reasons can be presented why she won looking back, but after we’ve seen the result, any explanation seems like hind sight.


     A wild card in tennis, is a system awarding a player that fails to qualify in the normal way, for example by having a high ranking or winning a qualifying stage.






東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。