2020年1月26日日曜日

場所と記憶(2020年2月1日更新)




最近、雨が降ったり、よほど疲れているのでない限り、週末の朝は川べりを散歩することにしている。ジョギングシューズを足になじませ、軽くストレッチをしてから、背中を伸ばして腕を振り上げ、勢いよくふみ出す。向かうのは駅と反対の方向。駅側を家の表側とすると、家の裏側に広がる裏庭のような地帯だ。住宅のあいだを抜け、化学会社の広いグランドの横を通って堤防を上って川に出る。


歩きながらポッドキャストを聴くことが多い。お気に入りはNYタイムズのThe Dailyと同じくNYタイムズのBook Review。もともと英語の練習のつもりで聞いていたところもあるけれど、話が面白いので、好んで聞く。ニュースというのは楽しいものではないけれど、国内の身の回りのニュースを聞くより海外のニュースを聞く方が距離をもって見られるので、狭さを感じないからというのもある。


そのようにポッドキャストを聴きながら歩いていると、聞いた話の記憶が風景と結びついて、次に同じ道を歩いた時に感情とともによみがえってくる。風景と話の記憶が分かちがたく結びついているように感じられる。例えば、数週間前に聞いたマイケル・ジャクソンの話。2019年内に放送された番組をふりかえるという企画で、1月に公開された「ネバーランドにさよならを」に関するインタビューだった。『ネバーランドにさよならを(Leaving Neverland)』はサンダンス映画祭で初公開されて話題となった。インタビューされたNYタイムズの文化評論家ウェスリー・モーリスは、少年時代マイケル・ジャクソンの大ファンだった。「僕は子どもの頃、マイケル・ジャクソンが大好きだった。音楽が好きなだけでなく、彼を見ていることが好きだった」とマイケルが少年時代の彼にとってどれだけの意味を持っていたかを語るうモーリスは、仕事として『ネバーランドにさよならを』を鑑賞しなければならなくなったとき、恐れながらのぞんだ。『ネバーランドにさよならを』は、マイケル・ジャクソンに対するそれまでの訴えとは違う重さを持っていた。それは自分自身の過去と対面することをモーリスに強いた。モーリスの話は同じ時代を生きた私の胸にも刺さり、散歩をしながら心がかき乱された。私が家族とともにアメリカで暮らしたのはちょうど『スリラー』や『バッド』がヒットした時期だった。男の子たちの間でブレイクダンスが大流行し、休み時間ともなれば、校庭にブレイキングに興じる子どもたちの輪ができたものだった。マイケル・ジャクソンのファンを公言したことはなかった私も、彼のミュージックビデオに陶酔した。だから、マイケル・ジャクソンに対する訴えを聞いて、その罪のひどさを理解しても、彼を否定することができないのは私も同じだった。したがって、マイケル・ジャクソンの話を聞きながらの散歩は、外見上はなんの変哲もないただの散歩だったにも関わらず、激しい内面の動揺を伴うものだった。その思いは、目に映る風景の上に宿り、あとで同じ道を歩いた時に、マイケル・ジャクソンのことを思い出させた。


同じようなことは、先日、元同居人の引っ越しを手伝うために旧宅を訪れたときにも感じた。大学の近くに住むためにワンルームを借りてからほとんど帰ることのなかった旧宅だったけれど、久しぶりに訪れて、最寄り駅から家に向かう途中、様々な記憶がよみがえってきた。かつて同じ道を歩きながら何を感じていたか、その感情の昂ぶりまで思い出され、しばし過去に引き戻された。荷物が運び出されてがらんとした部屋部屋を巡ったときも同じだった。その家に住んでいた期間は、外面からどう見えたにせよ、内面的には感情の嵐の状態だったので、再び同じ空間に身を置くと体に記憶された感情が蘇ってくるのだ。当時、その粗末な家からは想像できないほど、私の内面は大きく振幅し、壁の境界をはるかに超えて広がっていた。体はそこにいながら心はいつもさまよっていた。取りつかれたような状態だったあの頃の精神状態は、今やあの町の風景と固く結びつき、切り離せないものになってしまったようだ。


場所の記憶というのは極めて個人的なものだ。たとえ二人の人間が同じときに同じ場所にいたとしても、それぞれの記憶はまったく違うものとなりえる。特に、上に書いた場合のように、肉体的に体験していることと内面で起きていることが全くかけ離れており、いくつもの時間が自分のなかに存在する場合には。そう考えると人間というのはなんとはかりがたいものなのだろう。各人のなかに刻まれた時間は誰にも共有できない。

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