2020年2月11日火曜日

建国記念の日に――態勢の立て直し


2020年に入ってすでに一月経った。年頭に目標を決めて新しい年に突入したわけだけれど、例年同様、気がつくと目標のことはどこかに置き忘れたまま、その日一日をやり過ごすだけの日々が続いている。もちろん目標通りに行くわけがないことは最初から分かっていたことだけれど、それにしても自分の関心が次から次へと移って、昨日自分が何を考えていたかさえ思い出せないような状態だ。あまりにも移り気すぎるだろう。

目標を維持できないのは、その目標に必然性も拘束力もないからだと思う。自発的に決めた個人的な目標なので、なんの強制力もない。こういうことができたらいいなという願望を書き出したに過ぎない。しかも、その願望は時間とともに薄れる始末だ。

嫌なのは、目標意識が希薄になり、日々の習慣が崩れると、自分が何をすべきか分からなくなってしまうことだ。空き時間があっても時間の使い方が分からずに混乱してしまう。副産物を見分ける無限処理にパンクして動けなくなったロボットのように、文字通り動けなくなってしまうのだ。もとのルーチンに戻ることも新たなルーチンを構築することもできず、フリーズしてしまうのだ。そして「何か大事なことを忘れているのではないか」という漠然とした不安に押しつぶされそうになる。

そのような混乱は、これまでも定期的に襲ってきた。何かを成し遂げた後や忙しい時期を乗り切った後が危ないようだ。そして、今またそういう状態に陥っている。そんなわけなので、生活のリズムが乱れ始めたこの時期に週中の休日が与えられたことに心から感謝している。いってみれば今日は態勢を立て直す絶好のチャンスだったわけだ。

問題は、勉強が思い通りに進んでいないこと、というか、同一の対象に対して関心を持ち続けられず、次々に新しい対象へ移り変わっていくことだ。CAR-T論文の翻訳は細々と続けているが、特許関係の勉強はほとんど何もできていない。読みたい記事は色々あるし、審査基準も読み直したいのだが、ほかのことに時間を取られて後回しにしているうちに忘れてしまう。それに加えて、もっと文章を書く訓練が必要という問題がある。ところが文章を書くためには中身が必要で、そのためにはインプットをしなくてはいけない。書き終わった文章を誰かに見てもらうことも必要だ。しかし、何について書くべきなのか。誰に見てもらえばよいのか。最終的には何か一つのテーマについてじっくりと勉強して、長い文章を書き、できれば専門の人に見てもらいたい。そんなわけで今日は一日とまではいかないけれど、半日くらい、書棚の本を引っぱりだし、何について書きたいのか考えていたのだけれど、なかなか答えは出ない。そもそもそんな瞬間的にテーマを決めようとすることに無理があるだろう。まずは、なんとなく興味のある本を幾冊か読んで、そのなかからテーマを見つけ出すことが必要なのかもしれない。

とりあえず今は特許に関して包括的にカバーしている『化学・バイオ特許の出願戦略』を読み進めるとともに、人類学、法律、科学論に興味を感じるので、それらの本を少しずつ読んでいこうと思う。

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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。