2020年7月22日水曜日

散歩する自由


私の育った家は厳しい家だった。小学生のころの門限は5時で少しでも遅れるとドアに鍵がかけられ、家に入れてもらえなかった。高校にあがってからも、10時には帰宅していないといけないので、部活の打ち上げなどでも帰宅時間が気になって楽しめなかった。目が悪くなるからテレビもなかった。私が中学生になってからやっと、弟がいじめられないようにテレビを購入したが、その後も一日きっちり2時間しか見られなかったし、見る内容もチェックされた。お笑いも駄目、ドラマも駄目。見ていいのは漫画ぐらいだった。そのおかげでテレビを見る習慣がなくなってしまったのだが、私にテレビを禁止した親が今では、テレビを見ない、芸能人を知らないと私を非難するのだから腹が立つ。私がこのように育ったのは誰のせいなのか少しは考えてほしい。

そのような厳しい家だったので、祖父母の家で家族一同が集まると、乙おじさんの家族のほうが楽しそうで羨ましかった。乙おじさんは母の弟なのだが、優等生で真面目一方だった母と、遊び人で勉強なんか大っ嫌いという乙おじさんの家では文化が全然違った。実際、祖父母の家に滞在している間、おじ夫婦が夜遅くまで酒盛りをして盛り上がっているのを、母は、うるさくて眠れないと嫌がった。多分、眠れないことより、そういう遊び人の乙おじさんの生き方が受け入れがたかったのだと思う。あとは、私や弟が、おじさんと一緒にいる方が楽しくてそっちについていくのが気に食わなかったという面もありそうだ。親族で集まると、我が家族とおじ家族の間でひそかな対抗意識が燃え上がるのが常だったから。

 

門限に厳しい我が家では夜中外出するなんてもってのほかだった。それが変わったのは、留学して家を出てから。寮に住み、夜中何時でも誰にも何も言われずにふらっと出掛けることができる。なんという自由!金曜日の夜はキャンパスから徒歩圏内のダウンタウンのカフェで真夜中過ぎまでしゃべり明かした。Hay’s Marketというヒッピーな雰囲気のカフェだったのだが、その古びたソファ風の椅子に埋もれているだけで、日本の狭苦しい我が家を忘れるほどお洒落な気持ちになれた。そして、夜遅く、人通りのないキャンパスを歩く自由はそれまで想像できなかったものだ。誰にも監視されないでいられる奇跡。試験期間中、夜中に友達と一緒に勉強し、深夜3時頃に眠気覚ましに外を歩き回ることもあった。人も車も通らないしーんとした町の中で道路の真ん中に寝転ぶと、世界が自分たちだけのものになったように感じた。

 

門限を気にせず夜出歩けることは私にとって究極の自由だった。不思議とそれ以後は実家に帰ってからも、夜出歩くことをとがめられることはなくなった。親が私の自立を認めたということなのかもしれない。家という場所は、私の上に覆いかぶさってくる息苦しい場所だ。そこから逃げ出すために夜、町をふらつく。結婚して男と暮らしている時もそうだった。結婚生活のつまらなさに耐えきれず、そのまま寝ると自分の人生が無意味なものになってしまうようでいてもたってもいられなくなる時、家を抜け出して一人夜道を徘徊した。夜風に吹かれて人気のない町を歩いていると気持ちが軽くなった。夜散歩することは、このつまらない現実からの抜け道なのだ。


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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。