2020年7月30日木曜日

免許を取ることと仕事を習得することの意外な関係




 私は運転ができる人をそれだけで文句なく尊敬する。性格や頭のよさや社会的地位とはいっさい関係なく、運転ができるというだけでヒーローのようにかっこよく見えてしまう。自分のできないことをできる大人に憧れる子どものように、私は運転ができる人に憧れる。

 断っておくが、私だって運転免許は持っている。オートマ限定と普通二輪を。一時はヤマハのセローというマイバイクさえ持っていた。ただし一般道限定だったが。今はバイクも車も持っていない完璧なペーパードライバー。そもそも免許を取ったのも大学の授業終了後、就職まで暇だったからというお気楽な理由からに過ぎない。

 しかしお気楽に教習所に通い始めたわりには免許取得までの道のりは長く困難だった。そもそも教習所の技能検定を受けたのが、期限ぎりぎりで本当なら不合格になってもおかしくなかったところを教官に大目にもらって受かったくらいなのだから。

 世の中には生まれながらにして運転能力の備わっている人とそうでない人がいるのだと思えてならない。誰でも免許を取るまでにある程度の苦労はするのだろうが、私にとって不可能と思えるハードルをいともたやすく乗り越えてしまう人がいるのだ。というか私から見るとそういう人が大勢なのだ。勉強なんてしたこともなさそうなちゃらんぽらんなお兄さんが軽々と1000キロの鉄の塊を操っているのを見ると、彼我の違いはどこにあるのかと訝しまずにはいられない。

 運転ができるか否かの差は身体的能力にある気がしてならない。

 『島へ免許を取りに行く』を読んで星野博美さんの免許取得の体験を追体験して、その思いは一層強くなった。と同時に運転がなかなかできない時のあの無能力感が最近味わった何かに似ていると思った。よく考えると、星野さんが免許取得に感じた困難は私が仕事で日々感じている困難と驚くほど似ているのだ。もしかしたら、ある種の仕事で必要とされる能力は車の運転で必要とされる能力と共通しているのではないか。

 私が身につけようとしている仕事、それは弁理士という仕事だ。一種の士業だが、そういわれてもぴんとこない人も多いだろう。実際私も特許事務所で長年勤めながら自分が弁理士になるまでは弁理士の仕事の中身も難しさもよく分かっていなかった。

 弁理士の仕事というのは一言でいうと、企業や大学、個人の研究者がした発明に対して特許権を付与してもらうために必要な手続きを代理して行う仕事だ。具体的には、特許を申請するための書類を作成して特許庁に提出し、その内容が特許されてしかるべきものであることを特許庁の審査官や審判官、場合によっては知財高裁の裁判官に納得してもらうために主張を行って説得する。そういった手続きはほとんどすべて文章を介して、法律にのっとって定められた形式で定められた期間に行わなくてはならない。そして法律は頻繁に改正される。各弁理士はそれぞれ違う手続段階にある複数の案件を抱えて状況を把握しながら適切なアクションを取る。ペーペーの私でさえ80件以上の案件を抱えているのだから、ベテランであれば100件や200件はゆうに抱えているだろう。それらの案件を落とさないように対応することは、数々のピンを落とさずに宙に浮かせ続けるジャグラーのような業だ。多方面への注意力と限られた時間での適切な判断力が求められる。

 それはほとんど身体的な能力だと言っていい。運転がそうであるのと同じように。

 免許取得に話を戻そう。

 星野さんは最短16日で免許が取れるはずの免許合宿で仮免試験予定日の前日になってみきわめ18項目のうち9個しかハンコをもらえていないことに気づく。彼女はその時ようやく同じ時期の入校生に比べて自分の学習速度が相当遅いことを認識して愕然とする。教習コースでの星野さんはできないことばかりでがんじがらめになっていた。その様子を彼女はこう書く。

「簡単に言えば、何かをすべき時、瞬時に手足が動かない。ウィンカーを出しながら、前後左右の安全を確認し、ハンドルを切りながら、進路変更をし、また同じことを繰り返して元の道に戻る、という同時進行的な動きがいつまでたってもできない。

これはもう脳みその構造の問題、としか言いようがない。」

そう。要は脳みその構造の問題なのだ。彼女の脳は「車脳」になることに抵抗しているのだ。彼女は脳をバージョンアップするヒントを探す。免許を取った人に片っ端から電話してアドバイスを求め、イメージトレーニングをし、地図を片手に教習コースを歩き頭に叩き込む。しまいには眠っても車の夢を見るまでになる。そうこうしている間にも同じ時期に入校した人たちは一人また一人と彼女をおいて卒業していく。できる限りの努力をしているにも関わらず、どうしてもみきわめの最後の三個のハンコがもらうことができない彼女はこらえきれなくなって教官に感情を吐き出す。感情を吐き出した翌日、すっきりした気持ちの彼女は教官と自分の運転をくらべて「自分の運転は何かが根本的に間違っている」と気づく。彼女の走りは「びくびくした気持ちがそのまま走りに出ているみたい」なのだ。その日彼女のなかで何かが変わる。彼女は理解する。「勇気ある前進と、細心の安全確認。大胆な走りと、慎重な危険予測。自分は大丈夫だという楽観主義と、どんな悪いことも起こりうるという悲観主義。その際限ない繰り返しが、車を運転するということ」なのだと。それは彼女にとって「脳内画面を埋め尽くしていた意味不明な文字列が、すーっと意味のある文字列に」変わった瞬間だった。

 星野さんの文章は「できない」から「できる」への大きな跳躍を見事に描いている。その言葉は今ここにいる私に突き刺さる。同時進行的な動きがいつまでたってもできないのはこの私だ。今までとは全く違う脳みそを必要と感じているのはこの私だ。私にとって仕事を習得することは、身体全体が変化すること、星野さんの言葉でいえば脳みそが変わることなくしては成し遂げられない何かなのだ。「弁理士脳」にならなくてはいけないのだ。何をしていても自然に弁理士として考えられるような脳みそ、多くの物事を同時に処理できる脳みそに。私はまだそこに至っていないけれど、星野さんの跳躍の経験を通じて、少なくとも「勇気ある前進と、細心の安全確認。大胆な走りと、慎重な危険予測。自分は大丈夫だという楽観主義と、どんな悪いことも起こりうるという悲観主義。その際限ない繰り返し」が自分のものになる境地がある、ということを知ることはできた。彼女はあるいは運転に向いていなかったのかもしれない。免許取得に人より多くの時間を要したのかもしれない。しかしたとえそうであっても、彼女は運転できるようになった。脳みそが変わった。

 彼女の経験が示すのは向き不向きがあるとしても、理解しようと続けていればどこかで理解のポイントは訪れるということだ。だから理解が遅いからといってそれが能力的に無理だとあきらめる必要はないのだ。どこかに門を開く鍵はある。


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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。