2021年1月14日木曜日

ひとり

  八月末のある午後、区役所に行った。離婚届を出すためだった。

 三時半に仕事を終わらせ駅に急いだ。区役所に行くにはバスで三十分ほどかかる。四時のバスに乗ればぎりぎり間に合うはずだった。駅前のバス停には列ができていた。列の最後尾についた。耐え難い暑さだった。日中、外に出るのは自殺行為だ。

 バスは本当に時間通りに来るのだろうか。大事故に巻き込まれていたらどうしよう。それでなくても、交通渋滞で遅れているかもしれない。そんな不安をよそに、時間通りにバスが滑り込んだ。

 駅前を出発した四角い車体は図書館の横を過ぎると右折して水戸街道に入った。高架道路の下を進んで行くと橋の手前で道が合流した。道は混んでいた。私はバスのスピードの遅さに気を揉みながら窓の外を睨んでいた。車の進行に体中の全神経を集中させていた。

 橋を渡り交差点をいくつか超えてようやく目的の停留所についた。待ちきれない思いで出口から飛び降りると、区役所への道を急いだ。焦っていたせいか途中で間違った道を曲がってしまい、庁舎の裏に出た。時間のロスを思うと自分の愚かさが腹立たしかったが、建物の正面に回ると入り口はまだ開いていた。急いで階段を駆け上がった。二階の窓口の前にはまだ大勢の人がいた。間に合った。体は汗でぐっしょりしていた。

 番号札を取って電光板の前の席に座った。リノリウムの床にパイプ椅子が並べられただけの殺風景な部屋だった。すぐに番号が呼ばれた。担当の職員は若い女性だった。女性は、私の提出した書類を素早くチェックして、とんとんと机の上でたたいてまとめると「ありがとうございます。手続きをする間、座って待っていてください」と言った。彼女の口調は親切だったが、そこには個人的な感情は何もなかった。彼女の手の中で私の「離婚」は、他の手続きと同様、極めて正確かつ事務的に進められた。戸籍から一つの名前が消され、新しい戸籍が作られる。右から左への移動。削除と追加。

 感情を欠いた手続は「離婚」という事件を戸籍上の記号に変えた。記録されるべきひとつの事実、それ以上でもそれ以下でもない無色の出来事に。なんという自由だろう。戸籍上の一氏名でしかないということは。

 この機会に、私は自分一人の戸籍を作ることを選んだ。今更親と同じ戸籍に載りたいとは思わなかった。切れた鎖に再びつながれることを望むものはいない。

 ようやく一人になるのだ。

 私の名前だけが記された戸籍。構成員一名からなる家族。私が家族であり、家族が私であり、二つは完全に重なるのだ。私だけの名前からなる戸籍。それはどこまでも自由でどこまでも孤独だ。宇宙に漂う棺桶のように。

 考えにふけりながらも自分の番号が呼ばれるのを聞き逃さないように耳を澄ました。窓口の前の人の群れはなかなか減らなかった。手続きが完了するまでは安心できなかった。万が一、気を抜いたら全部だめになるような気がした。

「四十八番」

 やっと番号が呼ばれた。三十分くらい待ったような気がしたが、実際には十分も経っていなかった。私は窓口に走り寄った。担当者の若い女性は、私の望んだ本籍が取れたこと、手続きが完了したことを伝えてくれた。私は彼女の一語一語に頷き、求められた金額を支払った。

 それで終わりだった。

 決心するまでの大変さに比べてなんとあっけない幕引きなのだろう。

 窓口を離れて書類をカバンにしまった。何かやり残している気がしだ。そうだ報告しなきゃ。ipadを取り出して、完了したことを報告するメッセージを送った。

 それからゆっくりとバス停に向かって歩き始めた。気持ちが高ぶっていたけれど、自分でも何を感じているのか分からなかった。成し遂げたという気持ち、解放感、今までは何だったのだろうという気持ち。何より、これからは何をしてもいいのだという希望。

 喜びを分かち合える人がいないのが残念だった。

 

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