2021年1月19日火曜日

記憶喪失

 


「ひとり」を書き終わったので次に何を書こうかと夜道を散歩しながら考えた。

 私の夜の散歩コースはだいたい決まっている。住んでいる団地を出ると川に向かって歩き、グラウンドに出たら左折する。前方に大学図書館、右にグラウンドを見ながら進み、図書館に突き当たったら右折する。図書館はギリシャ神殿のような立派な建物だ。図書館の隣に大学のキャンパスと地続きに公園が広がっている。公園の外縁をその敷地が途切れるまでたどったあと園内の小道を通って図書館の前まで戻り、別の道から帰宅する。

 このコースは夜でも人工照明が明るく、人通りが多くも少なくもない。ジョギングをしている人とたまにすれ違う程度だ。ジョギングに適した道なのだ。その上広々として見晴らしがいいので、考え事をしながら歩くのにはぴったりだ。

 しかし、この日、書く題材を考えながら歩く私の脳裏には何も浮かばなかった。印象的な出来事を思い出そうとしても何も出てこない。過去の記憶がすべて輪郭を失い、うすぼんやりとしている。大学と公園と工場が並ぶこの再開発地帯を散歩する現在の私は、過去の一切から切り離されているように感じる。


 数年前まで通っていた大学のことを思い出そうとした。当時それは私の生活のすべてを占めていたはずなのに、いざ思い出そうとすると何の思い出もない。あるのはただ、仕事に行って、帰って、大学に行って、授業を受けて、帰って、寝るという繰り返しだけ。水曜日は実験があり、土曜日はレポートを書くために一日図書館に籠る、というバリエーションがあるに過ぎない。一週間を一区切りとして同じ毎日を十五回繰り返すと学期が終わる。

 大学で何人かの人と仲良くなった。一年目に仲良くなった子は、二年目以降顔を合わせることはなかった。二年目は、共通の知り合いを通じて同業者の男性と親しくなった。有難いことに実験の班も一緒になった。しかし彼は仕事が忙しすぎて一年で退学した。ほかにも、在日の男の子と親しくなって授業で一緒に座っていたが、春休みにメールをしたら返事がなく、翌年から一緒に座ることも、話すこともなくなった。最後の二年は、出産のために一学期休学した社会人の女性と親しくなって、授業で一緒に座った。私たちは二人とも前の方の席に座ることを好んだ。また、生化学の授業で一緒になった年配の社会人の男性に頼まれてノートを貸したり、授業の内容を説明したりして、食事をおごってもらった。しかし、それらの関係は卒業とともにぱったり途絶えた。いまやそれらの関係が本当に存在したのかどうかも疑わしい。

 結局、思い出に残るほど深い関係ではなかったのだろう。授業で顔を合わせてすぐに忘れる存在。窓の外を過ぎ去る風景のように。

 無人のグラウンド沿いを歩きながら過去のことを思い出そうとすると、すべてが別世界の出来事のように感じる。それらのことは本当にあったのか。それを経験したのは本当にこの私なのか。過去を持たない人間になったような気分だ。それは怖い気持ちだが、希望もある。どこまでも一人であるということは、どこまでも自由であるということだ。頼れるものは何もないが、縛られずに新しい自分を作ることができる。

 この町が好きだ。この散歩道が好きだ。人工的で、広々として、生活のにおいがしない。キャンパスも、公園も、その一角にそびえるタワーマンションも、数年前、まっさらにされた土地の上に建てられたものだ。かつてここには工場があった。今は跡形もない。

 この土地も過去から断ち切られている。

 この先何年ここに住むのか分からない。この地につながりを感じることはないだろう。でも、この土地では、つながりを持たない私でも生きていくことができる。名前を知られずに。忙しく行きかう大勢の一人として。

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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。