2021年1月31日日曜日

ヴァージニア・ウルフと私

 


(C) George Charles Beresford 

 ヴァージニア・ウルフは間違いなく偉人の一人だ。文学の歴史を紐解こうとする者は彼女の名前を無視することはできない。しかし、どこか捉えどころのない女性であることも確かで、先達として彼女を尊敬しつつもなかなか個人的なつながりを感じづらかった。

 ヴァージニア・ウルフの名前を初めて知ったのは大学生の頃だ。母校はリベラルな女子大の例にもれずフェミニズムに強く傾倒しており、ヴァージニア・ウルフの資料のコレクションを保持していた。特に文学を専攻していたわけでもヴァージニア・ウルフに興味を持っていたわけでもなかったが、意識せずとも彼女の名前が記憶に刻み込まれた。また、ちょうどその頃、町の芸術的な方の映画館(町には2つ映画館があった、一つは芸術的な映画を上映する古い劇場でもう一つはショッピングモール内の映画コンプレックスだった)で『オーランド』を上映しており、話題になっていた。当時の私は『オーランド』がなぜそんなに話題になるのか見当もつかなかったし、見に行くこともなかったが。

 実際にウルフを初めて読んだのは大学を卒業したあとだった。なぜ読んだかは覚えていないけれど、多分、有名な文学作品だから読んでみようという軽い気持ちだったと思う。その結果、残念ながら理解できなかった。でも、強い印象を受けたのは確かだ。すごい作品だ、と理解できないなりに思った。

 とはいえ、ウルフの作品は簡単に理解できるものではないし、疲れた時に気晴らしに読むようなものでもない。その後何度か彼女の名前を思い出すことはあったが、実際に読み直すことはなかった。

 それが最近になって女性知識人の存在が気になって調べているうちにヴァージニア・ウルフの名前が再び浮上してきた。彼女自身が女性知識人であるというだけでなく、「女性知識人の問題」について考えていた思想家として。彼女の『自分だけの部屋』は私の抱える疑問に正面から取り組んだものだ。なんで今まで読まなかったのだろう!自分の視野狭窄が悔やまれる。

 さらに。誰しもが経験することだろうが、興味を持って調べ始めた途端、あらゆる場所で「ヴァージニア・ウルフ」の名前が目に飛び込んできた。世界中がウルフについて語っているようだった。偉人であるとはそういうことなのだろうけれど、改めて、あなたはそんなに有名だったのか!と驚かされた。

 それでもやはり彼女は近づきにくかった。どうしても遠くから眺めている、という気持ちになってしまう。それが決定的に変わったのは、グレタ・ガーウィッグのおかげだ。

 知らない人のために説明するとグレタ・ガーウィッグは、女優兼映画監督で『レイディバード』と『ストーリーオブマイライフ』を監督した。私は最近彼女を知ったばかりなのだが、瞬時に恋に落ち、彼女の作品やインタビューをあさりまくっていた。同じ心を持ったものとしての強いつながりを感じた。テレビのない家庭に育ったこと、サクラメントに住んでいたこと(私はその近くのサンノゼに住んでいた)、芸術ギークだったこと。何より彼女は「なぜ女性の天才は少ないのか」という私と同じ問題意識を持っており、女性のクリエイターとして声を発していた!ワオ!!これは恋に落ちないわけがないでしょう。

 また、ガーウィッグは映画好きなだけではなく読書家でもあり、実に多くの本を読んでいる。

 そんな彼女が、ヴァージニア・ウルフと私との関係に決定的な影響を及ぼした。

 ハリウッドのスタジオの外でガーウィッグはインタビューアーにつかまり、歩きながら様々な質問に答える。途中で立ち止まった時、インタビューアーは聞く。「今まで刺激を受けたのは誰ですか?」と。それに対して彼女は答える。

「ヴァージニア・ウルフ。なぜなら、彼女は女性(lady)だったにも関わらず、あまりにも優れたので文学の規範(canon)になったから」と。

 その回答を聞いた時、私のなかで何かがかちっという音を立てた。

 もちろん。ヴァージニア・ウルフでしょ。ほかにだれがいる?

 ガーウィッグは、遠巻きからヴァージニア・ウルフを眺めていた私にウルフに近づく理由を与えてくれた。ウルフこそが今私の注目すべき人なのだと指し示してくれた。

 やっと私はヴァージニア・ウルフとの出会いが私にとって運命の出会いなのだと認めることができる。


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