2022年11月9日水曜日

読書録;ミン・ジン・リー『パチンコ』(3) 11月6日(日)

 116日(日)

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 舞台は下宿屋と海岸沿。

 イサクの肺炎が回復する。医者との会話を通じてイサクの人柄がより明らかになる。また、病弱だったイサクの過去が紹介される。イサクの思い出の中にリンゴが出てくるのが印象的。それは北国の象徴だろうか、魚臭い漁師たちと対比してイサクの爽やかさを強調するためだろうか。

 章の後半は、イサクが下宿の女将ヤンジンと海岸を散歩するのだが、第5章のハンスとソンジャの散歩と同様に男女対の散歩で、パラレルが感じられる。最初の散歩では海は 「輝いていた」のに、ここでは、「青と灰色の荒涼とした風景」と語られ、それぞれの散歩の異なる意味が際立つ。この作品では匂いの描写も多い。「海藻のよどんだにおい」という描写も気の重い散歩であることを表している。

 イサクとヤンジンの散歩でヤンジンは、悩み(ソンジャの妊娠)を打ち明けるのだが、会話を通じて二人の視点が交互に描かれるのも神視点のよさだ。イサクは牧師なので悩むヤンジンに神の話をする。作者のミン・ジン・リーが韓国人の話を書くのにキリスト教が出て来なかったら、その人は韓国文化を知らない偽物だと思うと語っていたが、実際、とても自然に神(聖書)の話が出てくる。

 印象的だったのは二人が会話を終えて帰路に着く章の最後。


 ーヤンジンは向きを変えた。イサクはその横に並んで歩いた。


 アメリカのカード屋さんでよく見かける、聖句や詩を書いたカードで「Footprints」という詩のものがあるのだが、その詩を思い出させる。以下に引用する。


One night I dreamed a dream.
As I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
One belonging to me and one to my Lord.

After the last scene of my life flashed before me,
I looked back at the footprints in the sand.
I noticed that at many times along the path of my life,
especially at the very lowest and saddest times,
there was only one set of footprints.

This really troubled me, so I asked the Lord about it.
"Lord, you said once I decided to follow you,
You'd walk with me all the way.
But I noticed that during the saddest and most troublesome times of my life,
there was only one set of footprints.
I don't understand why, when I needed You the most, You would leave me."

He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you
Never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints,
It was then that I carried you."


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 再びイサクの章。回復したイサクは、釜山の教会を訪ね、そこで神父に自分の決心を相談する。本章で、ソンジャは章を縁取るように冒頭と最後にしか登場しない。しかし、イサクと神父の話はソンジャについてのもので、ソンジャのいない場所でソンジャの将来が決められていく。

 今までもそうだったけれど、この章は特に劇の舞台を想像させる。

 舞台中央でスポットライトの下にイサクが立ち、舞台脇の暗がりでソンジャが何も知らずに洗い物をしている。

 章の後半、イサク帰宅後の様子もそうだ。イサクは下宿人たちと居間で団欒する間、ソンジャは台所で片付けをしている。表(居間)の男たちの世界と裏(台所)の女たちの世界がある。『ダウントンアビー』で上階と下階で主人一家と使用人の世界が分断されているのと似ている。また、楽しげに騒ぐ下宿人たちに対して女性たちは裏で静かに声なく働いているのも象徴的と思う。

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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。