2022年11月6日日曜日

読書録:ミン・ジン・リー『パチンコ』(1) 11月4日(金)

11月4日(金)

第一部 故郷(コヒヤン) 一九一〇ー一九三三年

 この日、ミン・ジン・リー著『パチンコ』を読み始める。


ーHistory has failed us, but no matter.

ー歴史が私たちを見捨てようと、関係ない。


 小説はこの一文で始まる。第一文は全体の論題(thesis statement)なのだとミン・ジン・リーは言う。歴史は勝者の物語しか残さないから、コリアンも日本人も見捨てられた、でも、大事なのは「no matter」の部分なのだと。


第1章

ー新世紀が幕を開けるころ、老年期を迎えた漁師夫婦は、家に下宿人を置いて稼ぎの足しにすることにした。

 論題が提示された後、段落が変わり、物語が幕を開ける。年老いた漁師夫婦が登場するこの文は「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」という聞き馴染んだ文章を思わせる。下宿屋を営む貧しい老夫婦が口唇裂と内反足を持った長男フニを育て上げ、彼が結婚して子どもを持つまでを語る第1章は、1910年に日本が大韓帝国を併合したという歴史的事実を参照はするけれど、全体として昔話を思わせる寓話風の語り口で書かれている。

 実直で優しい老夫婦とフニ家族を描く著者の筆は著者自身の人柄を表すように丁寧で温かい。作品を読む際に人としての作者に対する好き嫌いは関係ないと十分に理解しているけれど、この作品は、You Tubeで見たミン・ジン・リーに好印象を持ったから読もうと思ったのだし、文章の一つ一つに彼女の人柄が反映しているような気がしてならない。それほど、一人一人の登場人物がに対する視線が、いい人に対しても悪い人に対しても、温かいのだ。読んでいる私もすべての登場人物に愛しさを感じずにはいられない。

 本作の出版当時、マイノリティをテーマとして話題を狙った派手派手しい作品と作者を想像して、読む気になれなかった。でも最近、インタビューでミン・ジン・リーが話すのを聞いて、予想とは全く異なる温かさと思慮深さに惹きつけられた。そのような女性によるそのような考えに基づく作品なら読みたいと思うようになった。読み始めて、自分の期待を上回る深くて読み応えのある広い視野の小説であることを発見して嬉しい。


第2章

 一九三二年一一月。物語は日本が満州を占領した年に飛ぶ。

 正確な年号が与えられ、物語は一転して現実味を帯びて動き出す。フニは亡くなっており、未亡人ヤンジンが下宿を切り盛りしている。

 昼夜交代で寝る6人の下宿人を置き、二人の姉妹を手伝いとして雇っているヤンジンの元に一人の若い男性が宿を求めて訪れる。

 この章、人物描写が温かく丁寧であるだけでなく、ヤンジンたちの置かれている経済的状況や客人との階級差が、物語の流れを損なわない形で誤魔化しなくしっかりと描き込まれている。彼女たちの生活が実感できる。どうやってそんなことを成し遂げているのか、一文一文読み直してしまう。ディテールが利いているのだと思う。下宿代でいくら取っているか、どのようにやりくりしているか、生活実感を伴って書かれているし、客人の服装を通じて階級差を思い描くこともできる。そういったことを何一つ見逃さない作者の敏感さを感じる。


第3章

 疲労困憊して宿に辿りついた客人イサクがどうなるかと気をもんでいると、彼が肺炎であることが判明し、しばらく滞在することが決まる。また、今まで背景にいたソンジャにスポットライトが当たり、彼女の抱えている秘密が明かされる。その話の持って行き方が、omnipotent(神視点)の利点を活かしたもので、炭屋のチャンさんの相手をしていたヤンジンが、チャンさんが帰った後に視線をソンジャに移し、ソンジャについて考える中で、ソンジャの人となりが語られるという手法をとる。


第4章

 物語は6ヶ月前にフラッシュバックする。

 第2~3章は下宿が舞台でヤンジンが中心だったが、第4章ではソンジャが中心になり、舞台は市場に移る。

 下宿(中)の世界=ヤンジンの世界 VS 市場(外)の世界=ソンジャの世界という対比が見られる。ソンジャにとって、母の目が及ばない外の世界は危険な場所であると同時に、自分になれる自由な場所でもある。その外の世界で彼女は男性(コ・ハンス)と出会う。その出会いの場面がBook Exploderポッドキャストでも取り上げられ、そこでミン・ジン・リーは、仲買人ハンスについて、彼の服装、西洋風のスーツに白い靴、が彼の力を表していると語っていた。汚れやすい市場で平気で「白」を着られるのは、何着も換えを持っている金持ちの印なのだと。この段落で作者は、漁師や漁船の船長に対する仲買人の絶対的な力を語る。ここでも彼女がいかに階級差や力関係に敏感かが現れている。また、ハンスの持っている男として持つ力のセクシーさ、それが貧しく実直なソンジャに持つ魅力、反対に、まっすぐなソンジャがハンスに対して持つ魅力も生々しく想像ができる。

 仲買人コ・ハンスの力は、現在読んでいるアイヌの話にも重なる。松前藩がアイヌとの交易を独占した結果、値段や誰と交易するかの力がすべて松前藩の手に落ちた。和人との交易に依存するようになったアイヌは、松前藩の言いなりにならざるを得なかった。蝦夷でも朝鮮でも同じような構造ができあがっていたのだろう。


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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。