2024年4月27日土曜日

 私は何をやっているのだろうという思いがある。

本気で夢を追いかける気なんてなくて、悪あがきをしているだけかもしれない。

一人で家にこもっていると、すべてが嘘のように感じて、真剣になれない。それは言い訳だろうか。まあ言い訳といえば言い訳かもしれない。でも、努力しても努力しなくても同じ、すべてが無、という気持ちなのだ。外に現実の社会があることが信じられないし、自分の目指しているものに意味があることが信じられない。

夢を目指すことを応援してくれる人がほしい。高校に入るまでは親が応援してくれた。それがあったから頑張れた。応援してくれる人がいると、自分の目指すもの(そのときは志望校)に意味があるように思えたし、夢にも意味があるように思えた。でも、もはや親に応援してもらえる年ではなくなって、私がどうなろうと誰も気にしない状況になると、すべてがどうでもよくなってくる。誰も私に関心を払ってくれなくても、自分は自分を信じなくてはいけないのに。そう考えると、高校生までの私は本当に恵まれていたんだな。私を第一に考えてくれる親がいて、期待をされていた、そのことがどれだけ大きな支えだったか。期待されなくなると分かる。誰にも何も期待されないなかで努力することの難しさが。

とはいえ、やらなくてはいけない仕事があるなかで、夢を目指したいというなら、誰にも期待も応援もされないのは当然で、皆同じ道を通っているはずだ。(自分の周りにそういう人がいないというだけで、どこかに同じような人は存在するはず)

だから、見えないけれど信じて頑張るしかないのだ。

なんか久しぶりに自分の考えをぶちまけた。いずれ削除すると思うけれど、夢を目指して頑張り続ける自分を励ます(モチベーションを上げる)ために、しばらく、この厨二病的な日記を書き綴る。

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東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。