2024年4月30日火曜日

日本に住んだイギリス人作家 アンジェラ・カーター『花火』

 カズオ・イシグロの先生であるアンジェラ・カーターの名前を知ったのは、カズオ・イシグロを一冊も読む前だった。

『ニューヨーカー』か何かの記事で紹介されていた。日本を訪れたことがあり、二つの文化を行き来する感性を持つ作家として。その時何冊か読んだ中にこの本があった。『Tokyo Vice』を見てカーターを思い出し、再び手に取った。この短編集の中で直接日本が出てくるのは「日本の思い出」と「肉体と鏡」の二作。どちらも東京が舞台。

それらの作品を読んでいて受ける印象は、異国の地を歩くときの浮遊感。生まれ育ったこの土地が、遠い地に感じられる。

2024年4月29日月曜日

水墨画家砥上裕將 メフィスト賞受賞作『線は、僕を描く』

 よかった。水墨画、習いたくなった。

自殺した詩人シルヴィア・プラスの自伝的小説『ベル・ジャー』

 この小説を最初に知ったのは『バービー』の監督グレタ・ガーウィグの紹介によると思う。そのときは途中まで読んで挫折した。それが最近『TOKYO VICE』を見て、

『TOKYO VICE』→日本を訪れる外国人(Ex pat)の話(Angela Carter、Lost in Translation)→海外を訪れるアメリカ人(Ex pat)の話(Elif Batuman)→大学生の話(Elif Batuman、Sylvia Plath)

と連想が働いて、読みたくなったのだ。日本に憧れるアメリカ人と大学に入って戸惑うアメリカの学生はどこか似ているところがある気がしたのだ。

2024年4月28日日曜日

仮面

自分が人にどう見られたいか、どう振る舞えばいいか、考えたい。

昨日、近所のカフェに行ったときに、どう振る舞えばいいか分からなくて困ったから。今までそのカフェはあまり混んでいなかったのでマスターと一対一のことが多く、自然体でいられた。でも昨日は違った。久しぶりに行ったら人が大勢いて気後れしてしまった。そういうときかまってもらうのを待っていたら駄目なのだろうと思う。大勢の人がいるときでも自然に振る舞うにはどうしたらいいか。どういう風に自分をプレゼンテーションするのか考えなくては。

そして自分の望むようにプレゼンテーションできるように練習しよう。

国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちの眠る部屋となりえてきたか?」展

 

 

昨日、上野国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちの眠る部屋となりえてきたか?」展を観た感想を書いておきたい。

そもそもなぜわざわざ上野まで行ったのか。

弓指寛治さんの展示を見たい。その一心だった。

弓指寛治さんの名前を知ったのは先月末に参加したゲンロン友の会14期総会のトークショー。とにかく話が面白かった。母親の自殺をきっかけに自死遺族を取材して自殺をテーマとした作品を制作したり、満州移住したおじいさんの足跡を追って満州を題材にした作品を制作したりしていることや、制作方法にすごく興味をひかれた。

というわけで出不精な私が上野まで出かけた。上野は混んでいた。よいことだ。

誓い

昨日の「夢」に以下のように書いた。

もはや親に応援してもらえる年ではなくなって、私がどうなろうと誰も気にしない状況になると、すべてがどうでもよくなってくる。誰も私に関心を払ってくれなくても、自分は自分を信じなくてはいけないのに。

とはいえ、やらなくてはいけない仕事があるなかで、夢を目指したいというなら、誰にも期待も応援もされないのは当然で、皆同じ道を通っているはずだ。(自分の周りにそういう人がいないというだけで、どこかに同じような人は存在するはず)

だから、見えないけれど信じて頑張るしかないのだ。

そして、ミスキーに以下のノートを上げた。

  資料読みフェーズ。資料読みながら寝落ちするのどうにかしたい。外で作業したほうが良いか。 https://misskey.design/notes/9smivvdlv2

 「プロの作家になりたい」という「夢」はおこがましいと感じる。

山崎豊子のデビュー作『暖簾』

『暖簾』は大阪の昆布商人の二代記。
日清戦争直後から太平洋大戦終戦の十年後まで。
400字詰め原稿用紙で約340枚。
2部構成で、第1部は父吾平が大阪に出て丁稚となってから独り立ちして店を大きくし、太平洋戦争で店が焼かれるまで、第2部は徴兵された息子孝平が帰宅して店を立て直し、統制経済から自由経済への移行を生き抜き、変わる経済のなかで店を立て直すまで。ラストは、新たな大資本との対決で終わる。
山崎豊子の実家が昆布商人で、実体験から材を取っているらしい。
ストーリーはオーソドックスな商人の成功物語で、厳しい下積みから這い上がる過程と、時代の移り変わりや競争を生き抜く戦いがドラマを生み出している。
この話の他の人に真似できない優れた点は、ディテールの確かさ。
昆布の質感、香り、触感がリアルであり、細かい商売の変遷をふわふわとごまかさずに捕らえている。必ず数字を書いているのが、リアル。さらに、歴史の移り変わりときちんと結びつけて書かれているのが厚みが出ていてよい。神は細部に宿るというけれど、まさにそれを地で行っている。この商売のディテールの確かさが後に『白の巨塔』、『華麗なる一族』を書く土台になっている、というより彼女の方向性を示すものとなっている、と思う。

今まで山崎豊子を「ポピュラー作家でしょ」と軽く見ていたことを反省。ここまで書いてくれたら、読む満足感はかなり大きい。それは単純にすごい。

2024年4月27日土曜日

 私は何をやっているのだろうという思いがある。

本気で夢を追いかける気なんてなくて、悪あがきをしているだけかもしれない。

一人で家にこもっていると、すべてが嘘のように感じて、真剣になれない。それは言い訳だろうか。まあ言い訳といえば言い訳かもしれない。でも、努力しても努力しなくても同じ、すべてが無、という気持ちなのだ。外に現実の社会があることが信じられないし、自分の目指しているものに意味があることが信じられない。

夢を目指すことを応援してくれる人がほしい。高校に入るまでは親が応援してくれた。それがあったから頑張れた。応援してくれる人がいると、自分の目指すもの(そのときは志望校)に意味があるように思えたし、夢にも意味があるように思えた。でも、もはや親に応援してもらえる年ではなくなって、私がどうなろうと誰も気にしない状況になると、すべてがどうでもよくなってくる。誰も私に関心を払ってくれなくても、自分は自分を信じなくてはいけないのに。そう考えると、高校生までの私は本当に恵まれていたんだな。私を第一に考えてくれる親がいて、期待をされていた、そのことがどれだけ大きな支えだったか。期待されなくなると分かる。誰にも何も期待されないなかで努力することの難しさが。

とはいえ、やらなくてはいけない仕事があるなかで、夢を目指したいというなら、誰にも期待も応援もされないのは当然で、皆同じ道を通っているはずだ。(自分の周りにそういう人がいないというだけで、どこかに同じような人は存在するはず)

だから、見えないけれど信じて頑張るしかないのだ。

なんか久しぶりに自分の考えをぶちまけた。いずれ削除すると思うけれど、夢を目指して頑張り続ける自分を励ます(モチベーションを上げる)ために、しばらく、この厨二病的な日記を書き綴る。

悩みとその解決と

とても好きな人がいて、その人のことを好きなのに、その人の女性観が受け入れられなくて長い間悩んでいた。ほかの面では、こんなに頭のいい人はいないと尊敬と憧れでいっぱいで、自分自身より明らかに優れている人なので、どうしてその一点で折り合いがつかないのか、どうすれば受け入れられるようになるのか、分からなくて、ずっと頭の上に斧がぶらさがっているような感じだった。もともと男性不信が強く、この人とならもしかして関係が築けるかもしれないと思っていただけに、その一点を乗り越えられなければ永遠に男性を信じること、男性と良好な関係を築くことはできないと思えた。そのせいで余計に問題が重く感じたのかもしれない。だから、今日、長らく話していなかったその人のブログを読んで、その人が自分のあり方の問題性を認識して、そのようなあり方が受け継がれるべきではないことを語っているのを知れて、肩の荷が下りた。私はもうそのことで悩まなくていいんだ。

東浩紀がいま考えていること・7──喧騒としての哲学、そして政治の失敗としての博愛 @hazuma #ゲンロン240519

先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。