とりあえず今日も生きています。
当たり前だ。ほかに言うことのないのかよ。と言われそうですが。
まずそこから始めようと思うわけです。最低限のラインを押さえていこうと。
どこかから始めないといけないので。
私大丈夫なのだろうか。本当にできるのだろうか。と心配だけれど
やるしかないので、やります。
前進あるのみ。です。
とりあえず今日も生きています。
当たり前だ。ほかに言うことのないのかよ。と言われそうですが。
まずそこから始めようと思うわけです。最低限のラインを押さえていこうと。
どこかから始めないといけないので。
私大丈夫なのだろうか。本当にできるのだろうか。と心配だけれど
やるしかないので、やります。
前進あるのみ。です。
物語を読むのを控えようと思う。
それが逃避になっていると気づいたから。
自分の物語を作り出すことの。追い詰められることを回避している。
集中して突き抜けるしかないのに、大変なところで横にそれることで苦しさを交わしている。
創作は実は自分自身の弱さをそのまま映し出す。
追い詰められて乗り越えた時のことを思い出そう。そこに自分から入っていくのだ。
魚豊さんのことはゲンロンで知った。地動説を唱えた人々を描く『チ。』で有名になり、最近では陰謀論にはまった男性を描いた『ファクト』が話題になっているらしい。その題材のとんがり具合に興味をそそられる。と言いながら、なんとなく読むのを引き延ばしていたのだけれど、最近またゲンロンでの対談を見直していて衝動的に彼の作品を読みたくなった。
インタビューを読むと、ギャグ漫画でデビューしてストーリー漫画に移ったが、物語の骨格(三幕構造)を思いつくまでストーリー漫画が書けずに苦労し、その後連載を書くにあたってどのように構築してよいか分からず苦労したという話だった。その初連載が『ひゃくえむ。』
最後の更新からほぼ一週間経ってしまった。何もしていなかったわけではない。
心配していた仕事もどうにか制御できる状態を維持している。不思議なもので創作の時間を早朝に切り替えると決めてから、生活にはりがでて、仕事もコントロールできるようになってきた。自分では何をしているか分からずスーパーバイザーに頼り切りだった状態から脱しつつあると感じる。
昨日の決心どおり、気持ちを切り替えて作業に集中できた。試験勉強をしていた時の生活に戻らないといけないのだと分かった。普通に生活しようとする限り、無理。明日から早朝に作業をすることにする。食生活も変えていきたい。
ひらめきマンガ教室の課題講評の動画が無料で公開されているという嬉しいプレゼントがあった。さらに、同教室のゲスト講師浦沢直樹さんの話も30分だけ公開されていて、おもしろかった。私は漫画を描くつもりはないけれど、作品講評は勉強になる。それに、創作をしたくて頑張っている人たちの姿を見ることが自分の励ましになる。
小川哲という直木賞受賞作家を語り手とする『君が手にするはずだった黄金について』に連なる短編。主人公は直木賞受賞1か月後に地方市議会議員の幸田秀吾という男から祝電を受け取り、幸田が誰かを思い出そうとする。浮かび上がったのは「スマイル」と呼ばれていた小学校6年生のときの担任。5年生のときの担任が学級を掌握できなくなり荒れた中で交代した若い教師は徹底的に「いい」人で「いい」ことをしたくなるように仕向けることで生徒の心を掌握していく。例えば、「ホメホメ係」、「感謝の木」。彼の進めるルールは「いい」ことなので反対のしようがないし、生徒たちも褒められると気持ちがいいので、もっと褒められようとしてそのためだけに目につく「いい」ことをする。主人公はその多幸感や教室の空気に新手の収容のような気持ち悪さを感じるが、そういう彼はクラスでは少数派だ。原武史さんの『滝山コミューン1974』が1990年代に甦ったかのようだ。「滝山コミューン」の世界は私にとって既視感のあるもので、私の小学校も振り返ると同じ空気があったし、その後何度も同じような集団を目撃してきて、それが普遍的であるゆえに怖いと思う。この怖さを小説でどう描けるのだろうと思っていたところで、この作品を読んで、このように日常的な作品として描けるのかと感心した。小川さんは、陰謀論にはまる人の話も書いていたけれど、人が何かに支配されていく様子に関心を持っている作家なのだと思う。
こうの史代と言えば『この世界の片隅に』で知られているので、戦争を描く漫画家というイメージがあるかもしれないけれど、そんな固定されたイメージに収まらない作家だ。『こっこさん』は、ひらめきマンガ教室の受講生が作品の参考にしていたので、どのように参考にしているのか知りたくて読んだ。
雄鶏を拾ってきて飼う話。日常のなかにぴりりとアイロニカルな出来事が生じる、サザエさんのような話の集まり。ボールペンで描いているのかな。線が細くて、トーンをほとんど使っていない。にも関わらず、クライマックスのシーンが美しい。だいたい最後から2ページ目に、半ページほど使う大きなコマで、余韻を残す絵が描かれる。
読んでいて思ったのは、マンガというのがいかに文字以外の情報量が多いかと言うこと。それが小説と決定的に違う。『こっこさん』では雄鶏とやよいとの関係性はほとんど絵によって描かれる。絵によって鶏の凶暴さとか、やよいとのやり取りが読み取れる。さらにコミカルな要素も含まれる。笑いは言葉ではなく絵を通じて伝わってくる。しかも非常に記号的な描写を通じて。
GW明けの一週間は、休暇中の仕事がたまっていて恐ろしいほどだった。
どうにか乗り切ったが、乗り切ったと言えるのか。
波にもまれっぱなしで、水面上に顔を出せるときがない。
問題は一日の仕事が終わると体が疲れて、何もできないということ。
仕事を早めに終えたら夜作業できるかと思ったが、たとえ少し早く終わっても体に疲れがたまって動けなかった。金曜日の夜は仮眠をして疲れを取ってから作業をしようと思ったが、なかなか疲れが取れず、3時くらいまで寝てしまった。結局、早起きして作業することに。早朝作業のサイクルのほうがよいかもしれない。
このままだと本当に何もできないで時間が過ぎてしまうので気持ちを切り替えようと思う。
今日のトレーニングはよかった。久々にちゃんと体を動かした感じ。そのおかげで気分もすっきりして日中、作業に集中できた。この調子をキープしたい。
GWもいよいよ終了する。
5月3日の日記でGW中に小説のアイディアを考えると書いた。そして「そろそろ一つに決めないと。そして、書かないと。」と述べた。
その心意気は達成できたのだろうか。ずっと考え続けていたのは事実。そして、その日考えていたアイディアからまた変わった。というかその日考えていたことをひねり回していたら、別のアイディアが出てきたので、完全に違うものになったわけではない。と言い訳してみる。ところで、アイディアが出てきたのはいいがどうしたらエンタテイメント小説になるのだろう。さっぱりわらかない。
第57回メフィスト賞受賞作、黒澤いづみ『人間に向いていない』は、ある日息子が虫に変形していたという、カフカ『変身』を思わせる話。違うのは、この「異形性変異症候群」がニート、引きこもりなどの若年層を中心に日本国内で蔓延しており、一旦発症すると「致死性」と認定されること。カフカを彷彿とされる設定だがメフィスト賞作品であることから分かるように読みやすいエンタテイメント小説として作られている。別の言い方をすると単線的で深読みには適さないということでもある。特異な設定だけれど、ニート、引きこもり問題をテーマとした家族小説。結論もベタでわかりやすい。あと、異形化した息子の優一がそれほどおぞましく感じず、むしろ愛嬌があるように思える点も『変身』と異なる。内容的にはもっと重くどろどろしたものになり得たけれど、さらっと書かれているおかげで苦痛を感じずに読める。途中で挫折することが多い私としては珍しく、すいすいと2日で読了した。ミステリーよりも読みやすいくらい。その点はエンタテイメント小説としてはプラスだろう。
今日は午前、午後と二回も図書館に行ってしまった。
昨日も一昨日も行っている。通いすぎと思われていそうで恥ずかしい。
しかもいつもマックス30冊借りているし。変な人だと思われているに違いない。
だからいつも、できるだけカウンターで借りないようにしている。
ラカン(の解説書)を繰り返し読んで、少し理解ができた気がする。
人が最初に獲得するイメージが自己の鏡像であり、イメージは実体ではないというラカンの主要な主張は、パーソナルトレーニングで学んだ前庭覚の話とつながっているような気がする。
久しぶりの喫茶店でランチ。読書のために喫茶店ホッピング。
今日も平常心で過ごせた。とりあえず、それが今の私の目標かな。
毎日平常心で乗り切ること。寂しかったり逃避したくなっても、依存行動に走らないこと。
ネットを見てしまうことを完全にやめることはできないけれど、ツイッターをやめたことは本当によかった。動画への依存も減って、今は辻田真佐憲さんのシラスチャンネル「国威発揚ウォッチ」を見るだけ。このチャンネル、おしゃべりの密度も濃いし、酔っ払った時の放談も面白い。単純にこういうマイナーな分野にはまること自体が不思議で不思議で、この人はどういう人なのだろうと興味がわく。
ひらめき☆マンガ+で新川帆立さんの第2課題がアップされていた。実はいつアップするのか首を長くして待っていたのです。ストーカーか。
少しだけ片づけをした。
アマゾンで注文した折りたたみテーブルが届く。ちょうどいいサイズで、ソファーの上に横向きにおける。ソファーでパソコン作業+読書する目的で購入したのだけれど、食事にも使える。
小説のアイディア、また変えた。なかなか一つに決められず、すぐ変えてしまう。そのたびに資料をそろえ直している。でも、そろそろ一つに決めないと。そして、書かないと。
〈ひらめきマンガ教室必勝法〉を見つけたのだけれど、その一番目が「意地でも完成させる」ことだった。今の私に必要なこと。リンク先に説明が載っているけれど、ここにも書いておく。
昨日今日と有給。仕事のことはまったく考えない。
来週月曜日には仕事だと思うと気が重くなるくらい。
今日も寂しくなったけれど、我慢して本を読んだり洗濯をしたり。少し片付けもする。
何を書きたいのかアイディアを練る。なかなかよいアイディアが出ないのがしんどい。
アイディアが湧かない間の精神状態は最悪。
何のために書くのかよくわからなくなる。
作品の帯にはこう書かれている。
「高校卒業から10年間、息苦しさを感じて生きてきた日々。
そんな自分を解き放つために選んだ手段が、
「レズビアン風俗」で抱きしめられることだった――
自身を極限まで見つめ突破口を開いた、赤裸々すぎる実録マンガ。」
大学があわなくて中退して以来、アルバイト生活も苦しくて通えなくなり、引きこもっていた主人公(作者)は漫画家となる。しかし、その成功体験から得られた充足感も心の空洞を埋めることはなく、精神的にボロボロになっていく。そんな主人公は、どうしようもない寂しさや抱きしめられたいという気持ちを埋めるために、レズビアン風俗に行くことを思い立つ。その体験を綴るエッセイ漫画。
一言で言って「痛い」。主人公の気持ちが分かりすぎるから余計に。
ツイッターを退会した。深く考えず衝動的に。
深くは考えなかったけれど今日読んだ『自殺依存』に影響されたとは思う。
この本、二週間以上前に図書館で借りたけれど、すぐ読む気にもなれなかった。でも、最近精神的によくない状態が続いていて、どうしたらよいか分からなかったのでとりあえず手に取った。別に答えを求めていたわけではないけれど、著者の経験が自分に似ているところがあったので彼女がどうなるのか知りたかった。
先日見たシラスの番組で色々考えさせられたので、感想をこちらに転記します。 「この時代をどう生きるか」という悩ましい問題について多くのヒントが示された5時間だった。